【第390回】 呼吸力

前回の「呼吸力を鍛える」では、「呼吸力」を十分に説明しなかったので、今回改めて呼吸力を研究してみたいと思う。

まず、呼吸力とは遠心力と求心力を兼ね備えた力である、と定義した。例えば、相手につかませた手を相手が押し返えそうとしても、押し反すことも、また引くこともできないような力(呼吸力)のことである。相手が力を入れてくれば、こちらは遠心力と求心力のバランスを取り、常に+−(プラスマイナス)ゼロになるように働いている力である。

呼吸力が強ければ、相手が腕をつかんだり、あるいは触れるだけでも、そのまま離れなくなってしまう。遠心力と求心力が備われば、呼吸力がつくことになる。だが、一度に遠心力と求心力をつけるのは容易でない。

それなら、まずは遠心力と求心力を別々につけるのがよい。例えば、呼吸法(片手取り)によって、腕にそれを別々につけるのである。片方の手を取らせる時に、こちらの手を遠心力で出し、相手がその手を取ったら、求心力で相手を自分の円上に導き、相手が崩れたところを遠心力で落とすのである。

このように呼吸力を見てくると、呼吸力は腕などが持つ物的な力のようでもあり、諸手取り呼吸法などでまずは力一杯鍛錬するのがよいだろう。

しかし、呼吸力は物的な力というのでもないようである。二代目吉祥丸道主は『合気道技法』に、「合気道では、しばしば“気”“気の力”“気の流れ”という言葉が用いられているが、これが合気道の技の生命として流れる時、その力を“呼吸力”という」と、いわれている。また、『合気道』では、「生理的に息を吸う吐くことを呼吸と言うが、ここに言う呼吸法も全くその通りである」ともいわれているわけだから、物的な力だけではないはずである。すると、呼吸法を練磨するには、次の段階に行かなければならないことになる。

呼吸力とは遠心力と求心力のバランスが取れていることであるから、一直線で考えれば分りやすいだろう。だが、一本だけの一直線の働きだけではないのである。沢山の一直線があるはずである。だから、球と考えたほうがよいようだ。つまり、一直線が無数に集まった球、ということである。

例えば、呼吸法で取らせた腕から出す力は、強すぎもせず、弱すぎもせず、押しもせず、押されもせず、引っ張りもせず、引っ張られず、上げもせず、下ろしもせず、というように、バランスが取れた力が無数に入っているのである。上下、左右、前後に偏りもなく、多くもなく少なくもなく、弱くもなく強くもなく、すべてにバランスが取れているのである。だから、球で表わすのがよいようである。
これが、いうなれば「天之浮橋」の状態にある力といえるのだろう。

呼吸力とは、陰陽のバランスが取れ、「天之浮橋」の状態にあるので、相手の力と意識を吸収し、そして相手と一体化できるのである。それ故、呼吸力が引力を有することになるのであろう。

さらに、呼吸力は「天之浮橋」の状態にあるわけだから、宇宙と交流のできる力ではないか、と考える。合気道が目指す宇宙との一体化には、欠かせない力であろう。日常の出すだけ、引くだけ、という一方的な力では、宇宙とは結べないだろう。宇宙と結べるよう、呼吸力を養成していきたいものである。