【第347回】 受けもしっかりと

合気道の稽古をしていく上で、受けは大事であるが、今回はあらためて、受けの大事さを再確認したいと思う。

まず、入門したときは誰でも、前受け身、後ろ受け身、そして、小手返し等でとるとび受け身が、できるようになりたいと思うことだろう。稽古時間ではなかなかおぼえられないので、自由時間に先輩や同僚に投げてもらったりして、次第に受けを取ることを体で覚えていくはずである。

ある程度、相手の受けが取れるようになると、ひとりで前受け身と後ろ受け身の稽古をするのがよい。今の人はどれくらいやっているか知らないが、我々の頃は、仲間と一緒に稽古が終わったあとで、ひとりで30〜50回ほども転がっていたものだ。

受け身がとれるようになると、体が柔らかくなり、それまでバラバラだった体の部位がつながり合ってくる感じになり、そして、息が乱れないようになってくる。

この段階での受けの稽古をどれくらいやるかが、後の稽古に影響する。だから、ここでなるべく受けの稽古を一生懸命にやっておくべきである。しっかり受け身の稽古をしておかないと、後で有段者になっても、ハアハア、ゼエゼエと息を切らすことになる。

この段階では、まだ技がうまくつかえるはずがないので、技をかけて相手を倒すことなど考えず、受けを取りながら相手から技を盗み、技を覚えていった方がよい。武道では、技は盗めという。技を盗む訓練は、この期間がよいだろう。

有段者になれば、受けの役割をしっかり把握して、稽古していかなければならない。受けとは、取りであり、攻撃をしていく側である。片手取り、胸取り、正面打ち、突きなどなどで攻撃をする。この取り(攻撃)をしっかりやらなければ、相手の捕り(技をかける側)には稽古にならないか、違う稽古になってしまう。

正面打ちで打つなら、しっかり打つ。つまり、手を切れ味のよい刀のように使い、相手と自分の正中線を息に合わせて、切る気持ちで振り下ろすのである。先輩や力のある相手には、思いきって切り下ろせばいいが、未熟な相手にはそうもいかないだろうから、相手の実力を想定して、相手の実力の紙一重上のところでやらなければならないだろう。

しかし、その塩梅は難しいものだ。相手が受けきれなければ稽古にならないので、稽古になるように調整が必要であろう。例えば、正面を打っていった時に、捕りの相手が打たれても動けなかったり、技が使えなかったりする場合、相手が二回までやってもできなければ、三回目には相手ができるように力を弱めたり、導いてやるようにすることで、お互いの稽古になるだろう。

さて、先述のように、受けは攻撃する役割である。それも、技の始めの攻撃(取り)だけではない。始めの攻撃はもちろん、技の途中にも相手の捕りにスキがあれば、いつでも攻撃する気持ちがなければならない。稽古時間中に実際に試すのは、いろいろと問題があるだろうが、自由時間で仲間同士の稽古では、スキがあれば攻撃を加え、スキのない技になるように、切磋琢磨する必要があると思う。また、引いては、この稽古が返し技につながるのである。

もうひとつ、武術として考えれば、受けは攻撃であるが、攻撃の理想としては、触れた一瞬に相手を崩してしまうことであろう。理論的に言えば、技をつかうということは、触れた瞬間の一発で崩せなかったから、技をつかって倒すということになるだろう。

例えば、片手取りで相手の手首を掴んだ瞬間に、相手の力が抜けて崩れるとか、後ろ片手取り首絞めでいつでも絞め落とす態勢にあるとか、後ろ両肘とりで両肘を掴んだ瞬間に、相手の気持ちが上がってしまい、崩れ落ちてしまう、等などということである。

人の体の弱点であり、武道でも知っている方がよい急所は、攻撃をする受けの方が捕りより会得しやすいだろう。捕りに技をかけられる際に、掴んだり、抑えたり、打ったりすることで、そこが急所とわかるわけだし、受けを取りながらの方が、捕りの相手の急所や弱点が見えやすいからである。

受けは、ただ捕りがなすままに転がっていればよい、ということでは決してないのである。もっと積極的な役割とやるべきことがある。捕りで技をかけることも大事だが、受けも大事である。受けをしっかり稽古していきたいものである。