【第317回】 得物 〜合気の剣・杖〜

合気道の中心は体である。剣道のように剣、つまり剣づかいが中心ではない。合気道での剣や杖との最終的な関係は、合気道の技や体づかいで、剣や杖を持って動けば、合気剣や合気杖にもなるということであろう。そして、究極的には剣や杖を実際には持たなくとも、あたかも持っているように動けることではないかと考える。

合気道で剣や杖の稽古をするのは、それらの得物がうまくつかえるためにやるのではなく、自分の体をつくるため、自然・宇宙の理合を身につけるため、そして、宇宙の営みである技を会得していくためである。

それでは合気道の技の徒手での稽古と変わらないのではないか、ということになるだろうが、それが大いに違うのである。得物をもってやれば、素手では分かりにくいことが分かり、見えないものが見えやすのである。

また、素手でやったことが正しいのかどうかを確認できるなど、得物ならではの稽古ができるし、得物をつかわなければできない稽古もある。次に、その理由を見てみよう。

  1. まず、得物で体に加重をかけたり、絞ったり、握ったりするので、筋肉はつくし、体がしっかりしてくる。
  2. 得物を持った時、息に合ってないと迅速な動きができないから、徒手よりも息に気をつかうようになる。
  3. 剣でも杖でも、三角法で得物をつかって身を守るように動かないと、打たれたり突かれたりするので、三角法や半身の動きの重要性が分かりやすいし、会得しやすい。
  4. 腹腰に手足が結び、腹腰を動かして手足をつかうことが分かりやすい。腰腹で得物がつかえるようになると、合気道での徒手でも、手先や足先から動かさず、体の中心である腰腹から動かしてつかうようになる。
  5. 腰腹を反転々々してつかうには、得物の素振りの稽古がよい。剣や杖の素振りを素早くやるポイントは、腰腹の反転にある。これができれば、徒手でもできるようになるはずだ。
  6. 腰からの力をつかうためには、肩を貫(ぬ)かなければならないが、徒手ではなかなか身につかない。これは、剣の素振りや鍛錬棒を振る稽古をすると、身につきやすい。
  7. 合気道の技をつかう場合は、手足を左右同じ側、いわゆるナンバの動きにならなければならない。徒手では、ナンバでなくとも何とかごまかせるが、得物をつかうとごまかすことができないので、剣や杖を振って、ナンバを身にしみ込ませるのがよい。
  8. 足は右左を交互に使わなければならないが、徒手の稽古では相手に意識がいくせいか、なかなか難しいものだ。これは、得物をつかうと容易である。とりわけ杖の素振りはそれがわかりやすいし、身につきやすい。杖の基本の突きとしては、突いたら後ろに引き、すぐに前に突く、を繰り返し、その際、足が規則正しく左右動くようにする。足が左右につかえるようになれば、足が自由に動くようになるし、技は手ではなく足でかけるということがわかるはずである。
  9. 足より難しいのが、手である。手も足と同様に、右左交互に陰陽で規則正しくつかわなければならない。しかし手は自由に動けるので、規則に則った形にはめ込んでいくのが難しいようだ。
    手のつかい方がいかにいい加減であるかは、得物をつかってみると分かりやすい。例えば、杖の突きの素振りで、杖が手のうちを滑らないのは、手を左右交互につかわないからといえよう。ふだんあまりやらない右半身での突きの素振りは、なかなか恰好がつかないものだが、手を左右陰陽につかうと、形に入ってくるものだ。
    剣の素振りでも、手を左右陰陽に規則正しくつかわなければ、うまく振れない。だいたいは、利き腕の右手を最初から最後まで、陽でつかっている。だから、徒手でも手を陽々でつかってしまうことになる。剣を左右陰陽でつかえるようになれば、徒手でも手を左右陰陽につかえるはずである。
  10. その他にも、得物をつかわなければ身につかないものや、つかった方がわかりやすいものが多くある。例えば、拍子である。徒手では相手があるので難しいが、剣や杖の素振りでは会得しやすい。得物で会得した拍子を、徒手で試すのがよい。交差取り二教は、この拍子がないと難しい。また、時間を超越した速さである勝速日などは、徒手だけでは難しく、剣をつかわなければ会得できないように思う。
まだまだあるだろうが、今回はここまでとする。

開祖も最晩年まで剣や杖や槍で稽古をされていたのは、そこから得られるものがあったということであろう。徒手を基本にした稽古は大事だが、得物からも多くのことが学べるので、得物も学ぶべきである。しかし、合気の剣、合気の杖としてつかうことである。

合気剣、合気杖というのは、技の練磨を通して、技を身につけ合気の体をつくり、その体をつかった動き、そして身に付けた技で、剣をつかえば合気剣となり、杖をつかえば合気杖になる、ということである。