【第306回】 腰を入れる

合気道に入門して早や半世紀になるが、入門当時はよく先輩から「もっと腰を入れろ」とか「腰が入っていない」と注意を受けたものだった。確かに当時の先輩方はどっしりした体つきで、パワフルで重厚な稽古をしていたから、そのような体になることが「腰を入れる」ことだろうと漠然と考えていた。

とはいえ、先輩方も、「腰を入れる」とはどういうことなのか、また、どうすれば「腰が入る」ようになるのかは、何も説明してくれなかった。

合気道は技の練磨が基本であるが、技をつかうにあたって「腰を入れる」「腰が入る」とはどういうことなのか、考える必要があると思う。

技は手でかけるわけだが、手をいくら振り回しても、技にはならない。何度も書いているように、体の要である腰(腹)に力を集め、腰から力を出して手を使わなければならない。

「腰を入れる」とは、先ずは、技は腰を「つかう」ということである。これは問題ないだろう。問題なのは、この腰を「入れる」ということである。

「腰を入れる」「腰が入る」とは、次のようなことの総称だと考える:

特に、この腰からの力と沈みの動きが、「腰が入る」感覚であると思う。つまり、「腰を入れる」とは、腰を沈めるということになるだろう。

「腰を入れる」ために腰を沈めるのは、容易ではないだろう。願望や意志でできるものではなく、やはりやるべきことをやらなければならないからである。

腰を沈めるために必要なことは、 合気道の技は手先で決まるものではない。いうなれば、腰でかけるといってよいだろう。この腰でかけるということが、「腰を入れろ」ということだろう。実際に腰で技を掛けてみると、その感覚がつかめるはずである。
技が効いて相手が倒れるときは、必ずこちらの腰からの力で倒している。つまり、相手との接点にこちらの腰がのって、相手が倒れたといえるだろう。例えば、二教裏などで腰が入ると、強烈なエネルギーが爆発し、相手は弾き飛ばされる。手首には痛みがないので、一体どうなっているのか、相手は不思議がることになる。

相対稽古でこの「腰を入れる」稽古もしていかなければならないが、なかなかできないものである。それ故、それが分かり易い技や稽古法で、意識しながら練磨するのがよいだろう。

特に、腰が入らないと効かない技や形の稽古をするとよい。例えば、諸手取りの「交叉取り二教」である。これは腰が入らなければ、決して効かないものだ。これを効くようになるまで稽古すれば、「腰を入れる」感覚がわかるだろう。

また、諸手取り呼吸法である。これができなければ、上の諸手取りの「交叉取り二教」もできないはずである。相手がしっかりつかんでくると、手先だけで動くものではない。やはり、腰を入れなければならない。腰を入れることを学ぶには、最適な稽古法であろう。