【第277回】 体 育

合気道は武道であり、合気道の技を練磨して精進していくものである。技というものは自然の法則、宇宙の条理に則っているはずなので、無駄がなく、力を最大限に活用でき、少ない力でも大きなものを倒したり、投げることができるわけである。

しかし、技だけでは駄目だし、力だけでも駄目で、両方が必要である。しかも、技と力の関係は補完的な関係であるし、相手の力と技との相対的な関係も大いにあるだろう。例えば、どんな技の巧者でも、相手がそれ以上に力があれば効かないわけである。例えば、天才的な幼児が合気道の技の巧者としても、横綱白鵬どころか、合気道に入門したての巨漢にも技を掛けることはできないだろう。

技を遣うためには力、体力が必要であるし、しかも力はあればあるほど技に遣いやすいと考える。しかし、体力のある人はどうしても力に頼ってしまい、技の練磨が疎かになる嫌いがあるようで、なかなか思うようにいかないのが現実であろう。

かつて、合気道に入門できたのは、柔剣道の有段者のみという時代があったと聞く。その後も、信用できる紹介者2名(それ以前は3名)の紹介状がないと入門できなかった。この時期の稽古人は、すでに体ができていて、体力も十分にあったはずである。私は、紹介者の紹介状が不要となり、一般人に解禁された直後に入門したが、紹介者のあった先輩諸氏はみんな体力があり、力も強かったことを覚えている。

私が入門して1、2年の間は、開祖は「合気道とは気育、知育、徳育、常識の涵養」であると頻繁に言われていた。ここには、まだ「体育」が入ってなかったが、この頃はまだ、体力自慢、力自慢が多かったので、その必要がなかっただろう。逆に、開祖は、そんなに力を入れる必要は無いと、よく稽古人に言われており、その場にいた内弟子や高段者には、力を入れず、流れるように技を掛けて、力ではないことを示されたものだ。

その後、新しい稽古人が増えてきた。そうすると開祖は、今度は「合気道とは気育、知育、徳育、体育、常識の涵養である」と「体育」を加えて言われるようになった。合気道入門が自由になり、合気道が少しずつ知られるようになってきたので、武道やスポーツをやったことがないような体力のない稽古人が増えてきたため、開祖はそれを敏感に感じ取られ、「体育」の重要性を説かれたのだと思う。

この頃の稽古は、力一杯にやらないといけなかった。手首の毛が擦り切れたり、あるいは濃くなるほど掴み合ったし、正面打ちではお互いの手の骨(尺骨)がまともにぶつかるので、痛くて赤く腫れたものだ。痛くないようにそっと触れただけで倒れるような稽古を開祖に見つかったら、もっとしっかり力を入れてやりなさいと、大目玉を食らい、必ずお説教になったものだ。

合気道の技は力がいらないなどという迷信を信じている人がいるようだが、力がなければ技は遣えないし、力はあればあるほど技は遣いやすくなるはずだから、そのような迷信は改宗した方がいい。開祖は、力が全然いらないなどとは一度も言われなかったはずだし、私の知っている限りでは、力の強い事を自慢されていたものだ。

合気道を修行していく上で、力をつけていくことは、最後まで必要だと考える。開祖が晩年まで剣や杖や槍を振って力をつけ、体を整えておられたのは、写真やフィルムにある通りである。(写真)

合気道の技の練磨をしていけば、力がつき、体ができていき、体育になるはずだが、それで不十分ならば、剣や杖や鍛錬棒などを振ったり、四股を踏んだり、また、山歩きなどをすればよいだろう。

もう一度、「体育」ということを考えて稽古をしてみてはどうであろうか。

写真資料  「植芝盛平生誕100年 合気道開祖」(植芝吉祥丸編)