【第267回】 両手を陰陽に遣う

合気道は、技を練磨して宇宙と一体化しようと修行するものであるが、技を練磨するということは、自分の体を宇宙の営みに合うようにするための「体の練磨」であるとも言えるだろう。

人間の体というのは、見れば見るほど摩訶不思議なものである。何ものが何のためにこのような体をつくったのか、なぜ腕は二本で足は二本なのか等など、考えてみても摩訶不思議である。

人間を創造した宇宙か何ものかは、宇宙の営みに合った体ができた人間に何かを期待しているようだ。従って、ミクロコスモス(小宇宙)ともいわれるこの体は、大宇宙の宇宙の法則に則っていて、その法則に従って遣われるようにできているはずである。

合気道は、合気道の技の練磨を通してその体をつくろうとしているはずである。合気道の技も技の形も宇宙条理に従ってできているといわれるから、この技を技の形を通して練磨していけば、宇宙条理に則った体ができることになるわけである。

人は基本的に、二本の手(含む腕)を有する。二本ということは、両手を遣えということである。日常生活では一本の片方の手だけを遣っても、全然問題がないが、宇宙の条理を身につけようとする稽古においては、せっかく授かった二本の手を遣わなければならないはずである。

両手は、陰陽で交互に遣っていかなければならない。この最良の稽古が、「両手取り」である。

例えば、「天地投げ」(右半身)であるが、まずの前の手を相手に掴ませ、相手と結んでから、次は左足と共に左手を下に下ろす。入り身をしながら右手を上に上げ、右足を出しながら、その手を下ろす。そして、体を反転させながら、持たせている左手を後ろに引いて倒す。つまり、手は右、左、右、左と陽で遣い、左、右、左、右を陰から陽に反しながら遣うのである。この陰陽の順序が崩れれば、恐らく技はうまく掛からないはずである。

これができなければ、初めは意識して、右、左、右、左、又は左、右、左、右と、陰陽に遣っていけばよい。相手を倒すことばかり考えて、両手を滅茶苦茶に遣っても、宇宙の体はできない。

もっと両手を陰陽に遣う重要性が分かり易いのは、「後両手取り」であろう。「呼吸法」でも、「小手返し」「入り身投げ」でも、手が陰陽に変わる感覚がよく分かるし、陰陽がうまく遣えなければ、技が上手く効かないことがよくわかる。

「両手取り」で両手を陰陽に遣わなければならないということは、片手取りや正面打ちなど、一見片手でやっているような技でも、両手を陰陽で交互に規則的に遣わなければならないことになる。ただ、両手取りだと実際に両手を掴ませているので分かりやすいが、片手の場合は片方の陰の手を忘れてしまうものだ。それで、手を陽陽に遣ってしまい、陰の出番をなくしてしまうので、うまくいかないことになるのだ。

両手を陰陽に、阿修羅のごとく自在に遣えるよう、稽古していきたいものである。