【第257回】 合気の体をつくるとは

合気道を始めて1,2年もすると、合気道の技の形を覚え、受身を取ることによって、合気の体ができてくる。手首が太くなり、首がしっかりして、下半身がどっしりし、体に重みがでてくるようになる。何もしない人の体とは大いに違うはずである。これが、一つ目の段階の合気の体であろう。

しかし、この段階では、技の形をやっと覚え、形をなぞっているだけなので、受身は取れるだろうし、演武会向けなどの派手な演武も出来るだろうが、技を遣うことはまだできない。

技が遣えないから、ちょっと相手に抑えられると技は掛からない。そして、技が掛からないのを力が弱いせいにする。技が掛からないと、技が掛かるように力んだり、もっと力をつけようと鉄棒や鍛錬棒などの得物をつかったり、腕立て伏せなどで体を鍛えたりする。

パワーをつければ技が掛かると信じて、稽古をする段階である。人にもよるが、これが結構長く続くようである。これが二つ目の段階の体つくりと言えよう。もちろんこのようなパワーをつけることも重要であるので、体をつくる段階も大事である。

三つ目の段階では、合気道の技を遣うには、真の合気の体ができていなければならないと気付く。そのためには、体の節々のカスを取って解きほぐさなければならいと分かるし、合気道の技の形はそのカス取りができるようにできていることが分かって、カスが取れるように技を遣う。この段階では、合気道はまさしく禊(みそぎ)であるということであり、禊による体つくりということになる。

だが、体の節々のカスを取り去るのを第一の禊とすると、第二の禊がある。それは、「六根の罪けがれ」をみそぎ淨めていくということである。(『武産合気』)つまり、節々のカスを取った体にしたら、六根(六つの器官。眼・耳・鼻・舌・身・意)の罪けがれを淨めた体にしなければならない。

しかし、煩悩の塊のような者が、己の邪気を払うのは容易ではない。でも、有難いことに、開祖が「それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今未、宇宙のすみずみまでにおよび、偉大なる"愛"である」と言われているから、神の心である愛をもって稽古をするようにすればいいということだろう。そうすると、愛の体ができることになり、邪気が払われると言われる。

また、開祖は、己の邪気をはらい、心を清くすれば、宇宙森羅万象と調和することができる。そして、真の武道は宇宙のいとなみが自己のうちにあるのを観得するものであると言われている。つまり、宇宙の営みを観得する体ができれば、宇宙森羅万象と調和し、修行している合気道が真の武道ということになことになる。この宇宙の営みを観得する体、宇宙森羅万象と調和するのが、我々の目指す体ということになるだろう。

強いとか弱いとか、技が上手いとか下手だとかいっているうちは、まだまだなようである。体つくりにも、まだまだ先があるようだ。