【第249回】 腰を落とす

武道では腰を浮かさず、腰を落として遣うのが原則である。浮いた腰で技を掛けたり得物を遣っても決まらないし、見ていても不安定で美しくない。

人は時代が進み快適で便利な生活ができるようになると、腰が弱くなり腰高になるようだ。合気道の稽古をしているのを見ても、多くの稽古人が腰が落ちず、平面的な動きだけで技を掛けているようである。腰を落とす垂直、上下の動きがないので、力も出ないし、螺旋の動きにならないので腕や手を相手とぶつけてしまい、結局パワーに頼ることになる。

片手取りや諸手取り呼吸法などを腰を落とさずに稽古しても、名人は別として、初心者がうまくできるものではない。腰を落としたり立ち上がることによって、体の全体の力が遣えるし、力を養成することができるはずである。また腰を落とさなければ持たれている手を振り回すことになり、螺旋にも遣えないので、相手にぶつかるはずである。

腰を落とすための要件には二つあると思う。一つは股関節を開くことである。股関節を開けば、腰が自然と落ちる。ということは、股関節が硬ければ腰は落ちないことになる。腰を落とすためには、股関節を柔らかくしなければならない。合気道の稽古は体のカスを取るとも言われるが、技の鍛錬を通して、股関節のカスも取っていかなければならない。

しかし、それはそう容易ではない。ただ、稽古を続ければ股関節が柔らかくなるものでもない。まず、股関節を柔らかくすることの重要性と必要性を体に言い聞かせ、体に動いてもらわなければならない。

開祖が推奨した股関節を柔軟にする稽古は、坐技である。坐技は誰にとってもしんどいものである。かつては、大先生(当時、開祖をそうお呼びしていた。因みに二代目道主は若先生とお呼びしていた)が道場に隣接した母屋におられるときは、突然お見えになって坐技をやっていないところを見つかると雷が落ちるから、たいてい坐技をやっていた。お陰で道衣のズボンはぼろぼろで、二重三重につぎ当てしていたし、膝小僧は破れて血がにじんでいた。袴を穿けば少しは楽だろうと思い、袴を穿いている先輩を羨ましく思ったりしたものだ。

大先生は、よく雷を落とされた。だが、坐技の稽古をしているときは、あまり力をいれて頑張るななどと多少の注意はされたが、叱られたことはなかったと記憶している。だから、どの師範の時間でも坐技が多かった。

当時は、なぜ坐技が大切なのか、なぜ坐技をやっていれば、多少めちゃくちゃなことをやっても、大先生はご機嫌だったのか分からなかったが、坐技の稽古は股関節のカスが取れ、股関節が柔軟になるから、多少がむしゃらでもいいからやりなさいという教えだったのだろう。しんどいだろうが、坐技はなるべくやるようにした方がよいだろう。

しかし、最近は坐技の稽古は少なくなってきているし、稽古の主体は立ち技になっているので、立ち技で股関節の鍛錬をしなければならないことになる。技を遣う際には、動きやすい水平だけに動くのではなく、体を垂直、つまり上下にも遣うことである。呼吸法、入り身投げ、回転投げ、二教などは、腰を上下に落として遣わないと、うまくできない典型的な技であろう。

腰を落とすための二つ目の要件は、体重が足の上にのり、腰と踵がむすぶ(腰が踵の上にのる)ことである。これによって体軸は1軸となり、腰は自由に落ちたり上がったりすることになる。技を遣う際に、体が2軸、3軸にならないようにし、腰を落としたり立ち上がったりする稽古をすることである。初めは腰を落とすにも、極限まで落とすようにするのがよい。それができるようになれば、開祖や名人・達人、あるいはお能の歩き方のように、腰を落としていても、一見すると水平に動いているように見えるようになるだろう。

腰を落とす要件として、股関節を開き、股関節が柔軟になることと、体を1軸にして体重を踵に載せ、踵と腰をつなげることがあるが、この二つの要件を満たした稽古に、四股踏みがある。これを少しづつでも毎日やれば、腰は落ちてくるだろう。

股関節が硬かったり、体が1軸にならなければ、腰を落とすことはできない。もしそれで腰が落ちたとしても、それは腰を落としたのではなく、腰を引いたへっぴり腰であろう。