【第233回】 そば屋の出前の手は強い

合気道の相対稽古で、相手を倒したり抑えたりできるためには、技と力がいる。技には形、意識、呼吸、間、拍子などなどが含まれる。力にもいろいろなものがある。手先の力(つまり体の末端の力)、体の力、自分以外からの力(例えば、開祖が言われる、天地と潮の干満の力)などである。

自分以外からの天地の力が遣えればすばらしいだろうが、それはまだまだ出来そうにないので、今回は体の力について限定することにする。体の力は、脚や腰から出て来る力を手先に伝えて、技に遣うものである。脚腰からの力を遣わない力では、手先の力ということになって、強い力は遣えない。

脚腰からの力は、足―脚―腰―肩が一本の力の道になり、足から肩へ、また肩から足へと、力が伝わることになる。従って、この力は肩と足までは来るわけであるが、ここからその力をどうすればその先へ伝えられるかということになる。

実際、脚や腰からの力は肩で止まっていて、手先まで伝わらない人が多いようだ。脚腰からの力が先へ伝わらないので、肩や腕だけの力を遣うことになるのである。

また肩や腰からの力が足で止まっていて、先に伝わらなければ、体勢を崩したり、足首や膝に負担をかけるので、そこを痛めることになる。

脚腰からの力を手先に伝えるためには、肩のところで十字を遣わなければならない。足―脚―腰―肩の一本の軸と、肩―上腕―小手の手の一本の軸を合わせて、さらに一本の軸にするためである。一本にするためには、脇を一度横に開くのである。脇を開くことによって、肩のロックがはずれ、脚腰の一軸の縦の力が横にいき、肩から手先への軸と結んで、一本の軸になるのである。脚腰の力が手先まで伝わった強い軸であり、強い腕となるのである。

この腕の強いのは、言ってみれば、そば屋の出前の手の形を取っているからといえよう。手首と小手と上腕が各々直角(十字)になっているものを、まっすぐに伸ばしたものだからである。
一教では、技は出前の手で掛けるが、他の技でもそば屋の出前の手でというわけにはいかないだろう。そば屋の出前の形ばかりを遣えば、バリ島の踊りやインドの踊りのようになってしまう。従って、このそば屋の出前の手の形を一本の軸にしなければならない。内には強力な力を出すそば屋の出前の手であるが、外見は一本の腕である。

この十字の部位を一本の軸にするのは、螺旋である。だから、手は螺旋で遣わなければならないのである。初心者は手を直線的に遣うから、肩や肘や手首のところで折れ曲がってしまうのである。各関節を一本に繋げて働くためには、各部位を螺旋で遣わなければならないことになる。合気道の動きは螺旋であるといういわれる訳であろう。

脚も足首、膝、股関節のところでそれぞれ動くように出来ているが、手のように自由には動かないし、手のようにあまり螺旋では遣われないため、脚は一本の軸として遣うのは難しい。だから、注意しないで遣うと、足首や膝や腰をいためることになる。

しかし、脚も一本にして遣うようにしなければならない。一本にするためには、やはり螺旋で遣うことである。脚を螺旋で遣うためには、撞木(しゅもく)撞木で歩を進めることだろう。ここにも撞木が大事だとされる意味がある。

撞木で進める螺旋の脚からの力を、足―脚―腰―肩の一本の軸を通し、肩を貫いて螺旋で反す腕は、そば屋の出前の手に見られるところの、強く、安定し、持続力に優れたものである。