【第217回】 吸いつく手

合気道の稽古は、引力の養成であるともいわれる。技の練磨を通して、引力を身につけていくのである。つまり、引力が強くなれば、技が上手くかかるようになるということだろう。まずは、引力を実感し、その引力を強くするよう練磨していかなければならない。

物理科学の世界でも、モノがあればお互いに引き合う引力があることになっているから、合気道の相対稽古でも二人の間には引力が働いていることになる。また、モノは二人の間だけではなく、自分と地球、太陽や月や星などなどの間にも引力は働いていることになろう。

引力はあるのに、それを無視したり、弾く力が強かったり、自分の引力が弱過ぎれば、その引力を遣えず技が上手く遣えないことになる。太陽や月との引力関係を感得し、活用するのは難しいだろうから、まずは相対稽古の相手との引力関係を結ぶようにするのがいいだろう。

相手とひとつに結んでしまわなければ、相手は自分の意思で動くことになるので、技が上手く効かない。相手と結び、一体化してしまうのが引力である。この引力が強ければ強いほどくっつけやすくなるから、自分の引力を養成していかなければならないのである。

人の引力の強さは、まず手の平に現れるだろう。開祖の手もそうだったが、引力の強かった師範や先輩の手の平は柔らかくてふっくらしており、温かく、しっとりしていたと記憶している。そして、その手の平が、こちらの手首や腕に隙間なくくっついてくるのである。こういう手で触れられると、接した自分の体の部位は反発を示すどころか、気持がよく、皮膚同士が一緒になったことを喜んでいるように感じる。その証拠に、その手を振りほどこうともしないで、相手のやるように、笑顔でついていっていたようである。皮膚と皮膚が引力で引き合い、同調したと言えるだろう。

自分にどれほどの引力、つまり吸いつく手の力ができたかは、技の練磨をしていけば分かるものだが、相手によっても違ってくるので、何か相手によらないものがあればよいだろう。また、何時でも、どこでも自分一人で試すことができることがよいだろう。

そのひとつに、拍手がある。両手を打ち合わせて音を出すのである。通常は、感動や感謝や賛同、あるいはお願いや邪気を払うために打ち合わせるものである。吸いつく手で拍手すると、手の平どうしが打ち合ったとき真空状態になるためか、音を散らさず、まとまって出て、周りのモノと共鳴する重厚で大きな音になる。よくは説明できないから、自分で感じるしかないようだ。また、吸いつく手をもつ人の拍手を聞いてみるといいだろう。

吸いつく手になってくると、手の平を合わせ、一寸圧力を加え、そして離せば、ポッと小さな破裂音が出るはずである。真空になっているということだろう。

この吸いつく手の平で相手の手や体に接し、剣や杖道などの得物を遣っていけばよいだろう。吸いつくことによって、がっちりと握りこむ必要がなく、軽く手をあてがえばよいことになる。