【第189回】 折れない手

合気道は技の練磨で精進していくので、技が上手く効いているのかいないのかは大事なことである。技が上手く効かない場合は、その効かない原因を追及し、上手く掛かるようにしていかなければならない。

技が上手く効かない原因のひとつに、「手が折れる」ということがある。手が折れてしまえば、そこで体幹からの力が途切れてしまうから、技が効かないことになる。
手の力が弱くて折れてしまうのは仕方ないとしても、長年稽古を積んだ有段者の手が折れるのは不味いので、直さなければならない。

合気道はマクロな大宇宙を研究することも大事だが、ミクロの小宇宙である人体の研究も大切である。自分の体が分からなければ、体を効率よく遣うことは出来ず、技を効かすことも難しいだろう。宇宙と同じように、人体もまだまだ分からないというより、ほとんど分かっていないと言えるのではないだろうか。赤子の気持ちで地道に研究していくしかない。

手は7つの関節から構成されていると思う。手が折れるということは、この内にある関節のところが折れるということである。ここで折れるというのは、本来真っ直ぐでなければならないものが角度をもって曲がってしまうことである。一般的に折れる箇所は、手頸と肘であるが、よく見ると指の3つの関節も真っ直ぐにならずに曲がりやすいし、肩や胸鎖関節の箇所も折れ曲がってしまうものだ。

関節のこれらの箇所が折れたり曲がるのは幾つかの原因がある。一つには、筋肉を部分的に遣ってしまうことであろう。一か所に力を込めてしまうのである。筋肉には、横紋筋、平滑筋、心筋があるが、この内の横紋筋は骨格筋とも言われ、自分の意志で自由に収縮させて手足や体を動かす筋肉である。この自由になる横紋筋に力を入れてしまうので、その横紋筋が収縮し、他の筋肉とのバランスを崩してしまい、そこと接する箇所が折れてしまうのである。

二つ目の原因は、手を直線的に遣うことだろう。手は螺旋に遣わないと折れてしまうものである。日常生活では直線的な手の遣い方をして手が折れてしまっても問題はないが、武道家は日常生活でも折れない手を心がけなければならないだろう。

過って有川師範とよく食事をご一緒させて頂いたが、有川師範は食事で箸を使う場合や湯飲み茶わんを持ち上げるのにも、螺旋で折れない手を心がけておられたのを思い出す。とりわけお茶を飲まれるときの茶碗を卓上からとって口に運ぶ動作は見事で、芸術的な螺旋の動きであった。

まだまだ原因はあるだろうが、次にどうすれば折れない手になるかを考えてみたいと思う。
まず、第一に、腕の関節を一本調子に遣わないことであろう。隣同士の関節を十字に遣うのである。例えば、手頸を外転させるときは、前腕(小手)は内転、上腕は外転、肩甲骨は内転し脇を締めるのである。逆に、手頸が内転する場合は、この十字は逆になる。十字にすることによって、関節の繋ぎをロックするのである。 このように手の関節が十字に繋がれば、手が折れにくくなる。

折れないためなら、手頸も肘も一本の骨で繋げてくれていればいいわけだが、創造主はそうはしなかったのである。問題があるにしても、間接を幾つかに分けたのには理由があるはずである。しかし、創造主は折れない手への解決策も与えてくれているようである。体は本当に複雑微妙にできている。

二つ目は、力んで力を込めないことである。力めば他の箇所との力のバランスが崩れるので、その箇所が折れてしまうのである。手の関節を動かす筋肉は、その関節を螺旋状に包んでいるようで、力むとその筋肉が担当するその骨だけを動かすようである。

三つ目は、力まないことにも関係あるが、表層筋でやらずに深層筋を働かすことである。表層筋は受け持ちの関節を動かすので、手の関節を統合して動かすのは難しい。しかし、手の深層筋は手首から肩まで一本で通っているので(図参照)、これを遣えれば手を一本として遣えるようになるはずである。諸手取り呼吸法などで深層筋を鍛えるとよいだろう。

四つ目は、手は直線的に遣わず、円く遣うことである。直線で遣えば、必ず手は折れるはずである。手を反転々々と円く遣えば、一本の手は曲がるが折れることはなくなる。

五つ目は、手に意識を入れることである。意識で、一本の手となり、折れない手となるようにするのである。意識が切れれば、手も折れてしまうことになる。

六つ目は、呼吸である。折れない手になるよう、意識と呼吸(いき)を入れることと、呼吸に合わせて手を遣うことである。相手と接するまでは呼気、そこから技を決めるまでは吸気、技を決めるときは呼気である。

資料  ウィキペディア