【第184回】 武士(モノノフ)の道

合気道は武道である。武道とはモノノフの道であるから、侍時代の業(動き)が基になっている。例えば、刀は左腰に差し、右手で抜いて遣う。従って、体術でも基本的には右手で攻めることになる。それ故、恐らく、柔術などでの体術では右手の攻撃に対する技の稽古を基本とし、左手からの稽古などは原則的になかったか、重視されていなかったはずである。

合気道は敵と勝負するために稽古するものではなく、自分を鍛えていくものなので、右も左も対等に遣えるよう稽古をする。時代を先取りする武道として、斬新な稽古方法ですばらしいと思う。

しかしながら、この左右公平な稽古方法を続けていくと、壁にぶつかってしまうようなので、原点のモノノフの道の時代に戻った稽古も必要になるように思う。つまり、刀は左腰に差し、右手で抜いて遣う基本ということである。もう一つ、五体の左右が違った構造になっているので、五体の左右は対等にならないし、対等に遣えないことである。例えば、心臓が左にあることによっても、五体の左右の機能は違うはずである。

開祖は、「合気真髄」の中で、五体の右と左の役割と機能の違いをご説明されている。「五体の左は武の基礎となり、右は宇宙の受ける気結びの現れる土台となる。」つまり、体の左側の手足や腰が技を遣うための主役であり、右側は天地からの気を出し入れする土台であるということである。

これを剣の素振りに当てはめて考えてみると分かりやすいだろう。剣を左手で握り、左足に重心がのると打ちだす体勢が整い、緩んだ右側に天地からの気が入ってきて肩が貫け、腕と剣は浮き上がってくる。そして、気が充満したところで左側にある体の重心を右に移動しながら打ち込めば、鋭い打ち込みになる。これを、開祖は、「左手ですべての活殺を握り、右手で止めをさすことができるのである。」と言われている。

また、これを右足前にする「二教小手回し」に応用すれば、相手の手首を左手で取り自分の肩に着け、相手の手首をきめるわけだが、この場合、左手と左足と腰の体の左側が重要で、左手で相手の手首をしっかり抑え、自分の右肩に密着させなければならない。重心は左足にかかっており、体の左側が働いていることになる。

ここで、体の右側は緩むと同時に、天地から気が入ってきて、自分の肩と肩についている相手の手首が浮いてくる。浮いたところを右足に重心を移動しながら、肩で切り下ろす。このとき右手では操作しない。右手は相手の手が肩から離れないようにすればよい。慣れてくれば、右手を遣わずに、肩だけで倒すことも出来るようになる。体の左側で相手をくっつけ、そして浮かせ、右で殺すのである。

もちろん、この左右反対でもできるはずだし、対等に出来るようにならなければならないだろう。しかし、「左手で活殺を握り、右手で止めをさす」方が、この逆より自然にできるようだ。

五体の左右を遣う稽古もいいが、たまにはモノノフの時代にも戻った、武道の原点の稽古をするのも必要ではないだろうか。例えば、体が自然に動かないとき、速く動けないとき、技がどうしても上手く出来ないとき、行き詰ったとき、相手に抑えられたりぶつかってしまう場合などである。刀を差した武士になった気持で技を掛けるのである。そこに、問題解決のヒントがあるかも知れない。