【第172回】 歩 行

合気道は、武道の中では新しい。開祖である植芝盛平翁が苦心されて築きあげられたものであるが、開祖が合気道の技を編み出され、遣われていた頃と、今の時代の生活環境は大いに変わり、体の遣い方も変わってしまっている。典型的な違いは、所謂「ナンバ」である。つまり合気道の技は、「ナンバ」の動きを前提にしてつくられたものであるはずなので、技がつくられた当時にもどった体の遣い方をしなければ技を身につけることは出来ないと考える。

合気道の相対稽古をしていて、基本的な動きが出来難いものがある。その典型的な例は、「正面打ち入身投げ」の入身と転換である。この基本的な入身と転換が出来ないので、「入身投げ」が出来ないことになる。この内の「入身」だけでも中々思うようにいかないものだが、その最大の理由は「ナンバ」の体遣いをしていないことであるといえる。

「ナンバ」というのは四肢の動きに関して遣われる場合が多く、体の動きをいう場合には「常足」(なみあし)というのが正しいそうなので、この後の文章にはこの「常足」を遣ってみることにする。もし「ナンバ」が四肢の動きを言うのだとすれば、ここに説明していることは同じ側の手と足が動くだけでなく、腰も肩も連動して動くので、「常足」の方がいいのかも知れない。

「常足」は一般に、二軸歩行と言われる。体重を載せた左右の足がそれぞれ軸となり、その軸を左右に移動して進むのである。この二軸動作によって、体を捻らずに平面で遣うことが出来るので、無駄な動きをせずに迅速に、しかも全体重を相手に掛けることができることになる。

前述の「入身投げ」は、この「常足」でないと技にならない。「常足」 でやらなければ、自分の体重を遣うこともできないし、電光石火で動くことも出来ず、技も遣えないことになる。

「常足」は二軸歩行と言われるが、私は合気道の歩行は「常足」でも、三軸を二軸、一軸にすることではないかと考える。三軸というのは、立っている時の左右の足の軸(A,B軸の二軸)と両足の中央で重心が落ちる線(C軸の 一軸)である。

軸というのは、力が地に加わる接点のところの垂線といえよう。合気道で歩を進めるときには、この重心が落ちるC軸が前足のA(右足)軸にスライドするわけである。このCとAの両軸が合体のために近接するに従い、残りのB(左足)に掛かっていた力は消滅するので軸も消滅してしまい、C軸そしてA軸と合体したようになり、最終的に一軸になるのである。この一軸は非常に安定性があり又しっかりしているので、その一軸の片足で体重を支えることも可能だし、相手を押さえつけておくことも出来るはずである。

前述の「正面打ち入身投げ」で入身に入るためには、まず相半身にある前の足で一軸にならなければならない。そして自由になった外側の足を入身で進め、その外側になる前足に三軸の力が合体して一軸になるのである。三軸や二軸では入り身はできないし、次の転換も出来ない。

合気道の歩行は、このC軸をA又はB軸にスライドさせることであると言えるだろう。従って、歩を進めるのは足ではなくC軸の腰腹ということになる。足ではなく、腰腹で歩くのである。腰腹で歩くと、着地したとき腰腹に足の力が伝わってくるので、腰腹で歩くという実感が持てるはずである。この歩行を「スライド歩行」と言うこともできるだろう。

「スライド歩行」を遣えば、重心の移動が容易で素早くできるので、突きや短刀・剣などの得物に対しての動きも出来るようになるはずである。通常の歩法では、徒手による「入身投げ」だけでなく、他の技でもある程度以上の動きはできないだろうし、ましてや短刀や剣や杖などの得物に対することは難しいだろう。

「スライド歩行」を道場の技の稽古で遣おうと思っても、すぐに出来るものではない。日常生活では、体を捻り一直線上を進む一軸歩行で歩いたり、体を遣っているからである。まずはこれを変えなければならない。しかし、その習慣を変えるのは大変である。初めの内は、与太者のように体を揺すって歩くことになるので、他人は異様な目で見るし、足や体の感覚も全然異質のものになるため、よほどの決心がいるだろう。

また、歩法を変えれば、相対稽古での稽古では以前より弱くなるものだ。新しいことをやる場合は必ず一度力が落ちるものだが、それにも我慢しなければならない。「常足」、「スライド歩行」を身につけるには、数年の忍耐が必要のようである。