【第167回】 回転する手

合気道の技は手でかけるので、手の働きは大事である。手で相手を掴んで崩したり、持たれた手で相手を導いたりする。 

相手をしっかり押さえる手は、体幹からの力が指先に集まるものでなければならない。手先だけの力、小手先だけの力では、相手に逃げられたり、技を返されてしまう。体幹からの力を腕の表側(外側)を通し、主に小指と薬指そして親指に集めて遣うようにしなければならない。

このためには肩を貫いたり、脇を締める等に、注意しなければならない。一教で相手の腕を押えるとき、小指と薬指と親指に力を集中してしっかりと押さえる稽古をするのがよい。いい加減に押さえる稽古をしていると、指先が鍛えられないし、腹腰からの力が指先まで伝わる稽古にはならない。一教は腕抑えとも言われるように、腕をしっかり抑えることが重要なのである。

合気道の技は、相手に手を持たせたところから始めるものが多い。本来、体のどこの部位を取られても、相手を制することができなければならないが、手は体の中で一番自由に動き、遣いやすい部位であるので、技をかけやすいのだろう。また、手は体の末端にあるので、力の弱いところでもあり、掴みやすいため、相手も手を取りやすいのだろう。手技の多いもうひとつの理由は、手は相手を導きやすいからである。通常の生活でも人は手で方向を示したりする。顎や足で示したのでは失礼であろう。

持たせた手で相手を導くのは、そう容易ではないはずである。お互いになあなあでやったり、相手が素直に受けをとってくれたりすると、出来ると思ってしまうだろう。だが、相手が力いっぱい掴んできたり、また逆にそうっと持ってきたり、引っ張ったり、押したりする等、いかなる取り(攻撃)に対しても対応できる手の遣い方、技の掛け方をしなければならないはずである。それには、前述のように、一教腕抑えをしっかり稽古をし、いかなる攻撃にも耐えられる手をつくらなければならない。

持たれた手を単純に引っ張ったりして遣うと、せっかく相手が持ってくれている手を切り離してしまうことになってしまう。これでは、相手を導くことも、崩すことも出来なくなる。

相手を導き、崩すためには、相手と結ぶことである。相手がこちらの手を持ってくれているのだから、それに応えなければならないだろう。まず心を円くするのである。次に、手先に意識を入れ、肩を貫いて力みをとり、手先と腹腰を結び、その結びが最後まで切れないようにする。そして、接点の手を初めに動かすのではなく、腰の動きに従って手が動くようにする。

手は常に体の中心線上にあって、上下に動くことにはなるが、手は反転々々と微妙に回転して遣わなければならない。大雑把に言えば、90度々々と手の平を回転するようにするのである。十字道である合気道は、手も十字に遣わなければならないのである。この回転が正しく行われなければ相手の手は切れてしまい、相手は崩れないし、ついて来ない。正しく回転すると相手の抵抗力は無くなり、気持ちよくついてくることになる。

正しく回転するとは不自然でないということであり、相手が違和感なくついてくることである。

手の回転には、軌跡がある。この手の軌跡の稽古は、一人でもできる。これが出来てくれば、相手がしっかりと手を持ってこようがくるまいが、この回転の軌跡によって、相手を導くことができるようである。開祖が晩年に相手に触れずに倒した妙技であり、開祖が言われていた気形ということになるのではないか。合気道は、気形の稽古が主な稽古であるといわれる。手の回転の軌跡は大事である。

手の回転に最適と思われる稽古は、「片手取り呼吸法」であろう。慣れてくれば諸手取り呼吸法でも、坐技呼吸法でもできるようになる。これらの稽古でこの手の回転が正しくないと、相手がついてこないことが分かるはずなので、手の回転の重要性が分かりやすいだろう。それが分かれば、今度はすべての技で手の回転が上手く遣えるように注意して、稽古をしていけばよい。

また、得物を使っての稽古もよい。2キロぐらいの重さの鍛錬棒を片手で八の字に振り回すのである。遠心力と求心力を感じるように振り回すが、手の回転を間違うと筋肉を痛めるので、手を正しく90度々々と反転々々するように回転させなければならない。下手にやれば手首や肩を痛めるかもしれない。振ればよいということではない。よいことにはネガティブな面、危険さえあることも分かるだろう。何かやる時は、その覚悟も要る。だが、やらなければ危険もないが何も得られない。