【第111回】 第二教 手首の鍛錬

手首は人体の中でも弱いところだから、武術や武道ではここを攻める技が多くある。合気道の形稽古をやる上でも、手首は大事である。手首の大事さには、二つの面がある。一つは技が効くために柔軟に自由に動くこと、もう一つは多少抑えられても耐えられるよう強靭であることである。この二つは相反するものである。手首は普通なにもしなければこのどちらか一方で、柔らかいか硬いか、柔軟か強靭かのどちらかに偏っている。この両方の機能を備える手首にするためには、稽古で鍛錬するしかない。

合気道には、第二教という鍛錬技であり鍛錬法がある。いわゆる二教である。相手の手首を両手で絞って、絞った直角の方向(十字)に手首を肩や胸で返して崩す。鍛錬が出来ていないと、すぐに決められてしまい、苦痛を味わうことになるが、鍛えてくるとかえって筋が伸ばされて気持ちがいいものである。自分一人ではそれだけ伸ばすことができるものではないので、稽古相手に伸ばして貰うのは有難いことである。痛いようではまだ鍛錬が足りないわけで、痛くなくなるまで手首を鍛えなければならない。

手首を鍛えるためには、まず仲間同士で二教を掛け合うのがよい。二教裏を10回づつとか30回づつなどと決めて、交代しながら左右交互に力いっぱい掛け合うのである。掛けられる場合も、力まず、気を抜かず、十分伸ばさせる。その内にお互いでは効かなくなってくるので、今度は先輩上級者に掛けて貰うとよい。はじめは痛いだろうが、すぐに効かなくなるはずだ。そうなると、柔軟で強靭な手首の基礎ができたことになる。

二教の裏は、相手が少し頑張ればそう容易に掛かるものではない。初心者で力がなければ別だが、道場では相手も手首を鍛えているわけだから、力の差が相当なければ難しい。相手が強くて頑張れば、効かない。効かないものは何回やっても効かないものである。それでも効かそうとして、効かすことだけを目的にすると、違った道に行ってしまう。

稽古は相手を崩したり、倒したりするだけが目的ではない。崩れたり、倒れたりするまでの過程が大事なのである。二教で言えば、両手で相手の手首を持ち、絞り込むと、相手の気持ちと体勢が崩れるわけだから、相手が強くて全然崩れなくとも、相手の手首を自分の両手で力一杯、絞りきった雑巾からさらに水を搾り出すよう絞込む稽古をすればよい。そうすれば指が締まり、腕も強くなるし、脇も締まり、手先や指先が腹と結び、連動して動くようになる。そうすれば、何時の日か倒すことが出来るようになる筈である。相手が倒れなくとも、技が効かなくとも、自分の体をつくる稽古を焦らずやることである。

これが身につけば、今度は、肩や胸を使って崩せばいい。手の絞りが出来た上で、肩や胸で掛けられる二教は強烈である。体の全体重とスピードにより大きな力が相手の手首に掛かることになる。これに耐えるのは容易ではないので、自分もまたこれに耐えるために更なる手首の鍛錬が必要になる。

さらに厳しく手首を鍛錬するためには、両手首を二人の人に左右同時に二教で掛けてもらう。痛くても参ったといって手を叩けないので、通常よりさらに痛いところまで伸ばされる。それを二三ヶ月繰り返せば、手首は相当強靭になるだろう。

一人で鍛えたいときには、手の甲を床につけての腕立て伏せがいい。また鍛錬棒、木刀、杖などを使っても手首を鍛錬できる。

第二教というのは、手首を攻めて相手を崩したり、倒す「わざ」であり、稽古法と云えよう。その典型的な技が二教と小手返しであるが、その他、小葉返し、呼吸投げなどがあるだろう。しかし、他の技でも、この第二教の手首の関節を攻めてのやり方も研究する必要があるだろう。例えば、一教、四方投げや肩取り、胸取りなどに対しても、手首を攻めての第二教で対処する研究である。

名人、達人は例外なく手首が強靭でしかも柔軟である。更なる手首の鍛錬をしていきたいものである。