【第90回】 カミ

ひとは神を信じたり、信じなかったり、またよく分からなかったり、関心がないなど、いろいろあるようだ。だから世の中がうまく行っているともいえる。世の中のひとがすべて神を信じなければいけないとか、キリスト教とか回教徒でなければいけないということになると、宗教戦争のような争いが起こるのは、歴史が示す通りだ。

しかし、また、ひとは信じて支えにできるようなもの、判断の基準になるものを必要としている。科学で説明しきれないもの、摩訶不思議なことなどを神の力、思し召しとした方が安心できることもある。だから、神社やお寺にお参りしたり、お祭りに参加するし、そのような行事が継続されているのだろう。

ひとはどの国、どの地域にもかかわらず、本質的な善悪を判断できる絶対的な基準を必要とする。また、ひとには少しでも今よりよくなりたい、もっと自分を成長させたい、という上昇志向もある。この善悪を判断する絶対的な基準とは、上昇志向の到達点であるはずだ。

合気道を修練するのも、ある目標に向かって進んでいる。開祖は、合気の修行の道は宇宙ができる前の何も無かった大虚空の元まで遡らなければならないといわれた。また同時に、神の創ろうとしている世界のお手伝いをしなければならないともいわれている。この二つ結んだ一本の線が宇宙万世一系であり、時間と空間を超越した絶対であろう。

神を信じる信じないは別にして、ひとは超自然的な力を感じ、畏敬(イケイ)の念を持っている。その超人的なものは、なにも無かった虚空から宇宙をつくり、星をつくり、地球、地球上に水をつくり、生物、人類をつくった。このなにも無いところから、このようなとてつも無い完璧なモノをつくるエネルギーと思惟は摩訶不思議としかいいようがない。なにも無いところでモノを創造しようという意志をもち、なにも無い所からモノを創造し、そして更に何かをつくろうとしている。いまの科学では解明できない偉大な何かがあると、誰でも感じるだろう。これをひとはカミというのではないか。

アポロ宇宙飛行で月面探検をし、そこで地球とのテレパシーの実験をして有名になったエド・ミッチェル氏は、「神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神であるといってもよい。それは一つの大いなる思惟である。その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。人間の意識はその思惟の一つのスペクトラムにすぎない。宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ。」と語っている。(「宇宙からの帰還」中公文庫)

開祖は神の神、大神について次のように述べている。「一霊四魂三元八力の大元霊が一つなる大神の御姿である。大神は一つであり、宇宙に満ち満ちて生ける無限大の弥栄(いやさか)の姿である。すなわち天なく地なく宇宙もなく、大虚空宇宙である。その大虚空に或る時、ポチ(ゝ)一つ忽然として現れる。このポチこそ宇宙万有の根元なのでる。」また「すべては一元の本より発しているが、一元は精神の本と物体の本を生み出している。それは複雑微妙なる法則をつくっている。それが全大宇宙の御姿、御振舞いの営みと宇宙万有に生命と体を与えている。それが生成化育の大道を歩んでいるのである。そして宇宙万有は一家のごとく、また、過去、現在、未来は生命呼吸として人生の化育を教えている。宇宙万有の世の進化は一元より発し、我らをして楽天に統一に和合へと進展させている。」

なにも無い大虚空から星や我々人類を生み出し、また我々をある方向に導こうとしている大いなる思惟が、この宇宙万有に働いているということだ。これをカミというのだろう。