【第67回】 万有万心の真象を武に

人はいろいろなことをやりたいと思うが、一時にひと所にしか居ることができないし、一つのことしか出来ないものである。武道の修行をするに当っても、道場の稽古だけでは、時間的にも、稽古をする内容も、不十分には違いない。大概の人は、道場にいる時間よりも、道場の外にいるほうがずっと長い。仕事をしたり、本を読んだり、芸能を鑑賞したり、自然を探索したり、飲食を楽しんだり、寝たりする時間の方が長いわけである。しかし、道場ではもちろん武の修業に専念することになるが、道場以外の場も修業の場にできれば素晴らしいし、そうしなければならない。開祖もそうであったが、武道や武術の達人、名人達は、常人が気楽に過ごしている時間を修行の時間に当てていた。いわば寝る間も惜しんで修行に励んだから、名人、達人となったのである。しかし、名人、達人の時間の使い方やすごし方はそれだけではなく、常人と大きく違うものがある。

開祖の言葉として合気道新聞(第11号)には「武を修する者は、万有万心の真象を武に還元さすことが必要である。例えば、谷川の渓流を見て、千変万化の体の変化を悟るとか、また、世界の動向、書物を見て無量、無限の技を生み出すことを考えるとかしなければいけない。」と書かれている。極端にいえば、自分の見たもの、聞いたものが、すべて武に還元されなければならないということである。

常人は美しいものを見れば、ああきれいだと感激しただけで済ましてしまうわけだが、武道を志すものはそれでは駄目だということだろう。谷川の渓流だけでなく、自然を見、人と話し、本を読んでも武に還元されなければ、見たこと、経験したことの価値は半減してしまうことになる。何故ならば、それでは見っぱなし、聞きっぱなしになって、自分を創造し、技を完成させる一助とならないからである。せっかく経験したことが生かされないまま消滅してしまい、自分も変わらないし、折角の出会いも自分とは結びつかないままになってしまう。

出合ったものがすべて武に還元されたら、素晴らしいだろう。これはすべてのものが武を通して自分と結ぶことになり、見るもの、聞くもの、接するものすべてがつながるからである。孤独とは、自分と周りのもの、周りの世界との結び、関係がないと感じるからである。もし、人がもともと周りのものと結びがなく、本来が孤独であるということならば、孤独を感じないはずだ。しかし、人は本来すべてのものと結ばれているのである。

人は宇宙万世一系につながっているのである。合気道を通して、万有万心の真象を自分に結び付けて、武に還元していき、武を磨き、そして社会に還元していきたいものである。