【第669回】  木になる、雲になる その1

阿吽の呼吸をしながら木々や雲をみていると不思議な気持ちになる。
木々や雲の気持ちが感得でき、そして自然との一体化をし、万有万物(宇宙)と結び、愛しさや愛が生まれるようである。
しかし、これは見える世界から見えない世界を目で見ないで、心で観なければならない。顕界を出て、幽界に入らなければならないということである。

万有万物は確かに大先生が云われているように家族であり、みんな地上楽園・天国建設のための生成化育をしていることが実感される。
地上楽園とは、神界の楽園、仏界の楽園を地上に建設する楽園である。
神界と幽界に完成している楽園を、まだこれが未完成である地上につくりあげることである。
この完成の為に、この地上に生まれた人も動物も植物も万有万物は、この生成化育のお手伝いをすることになっている。これを使命というと合気道では教わっているわけである。

大先生は「万有万神の条理から来る真象を眺めること」が大事である、と次のように言われておられるのである。
「合気道を修行する者は、また万有万神の条理を、武道に還元することが大切なこととなってくるのである。それは万有万神の条理から来る真象を眺めることである。真象を通して合気道の技は、合気の原理を通して創造することが可能であるから、どんな微妙なる宇宙の変化にも、よく注意していなければいけない。」(合気神髄 p.38)

冒頭に述べた、「木々や雲の気持ちを感得した」ことを、もう少し詳しく書いてみる。
実は、感得した場所は温泉の湯船の中で、阿吽の呼吸の稽古をしながら、その窓越しに見ていた庭の木と青い空に浮かんでいた雲から感得したのである。
顕界での目で見ていれば、木はただの冬の寒さに縮こまっている木だし、雲も寒空に浮かぶ雲である。これを心で観るのである。つまり、木と雲の心(気持ち)になって観るのである。その為には阿吽の呼吸が必要である。阿吽の呼吸は天と地、言葉を話さない草木などと結びつけてくれるからである。

天から気を腹に下し、阿吽の呼吸で締めた腹を緩めると、気が下の地に落ちていく。根っこが下に張っていく。同時に気が上に上がっていく、頭から天に向かう気である。これは木の幹が伸びていく感じである。更に腹から上がる気は胸の辺りから肩、そして手先に流れる。木の枝が出て、手首から先に更に小枝が伸びる感じである。

木の気持ちになって観ていると、木が一生懸命に生きようとしている心が観えてくる。天に向かい上に伸びよう、枝を増やし、伸ばして成長しよう、そして地に根をどんどん下ろし、倒れないように頑張ろうという気持ちである。木は少しでも長く生きる事、そして子孫を残すこと、これが自分の使命であると思って頑張っているようである。

また、阿吽の呼吸のアーと息を吸い切った状態でいると雲になった気持ちになる。この状態は上に上がるのと下に下がる力が拮抗した状態である。合気道の技をつかう際、自分と相手をこの状態にしてしまえば相手をくっつけてしまい、自在に導くことができることになる。この状態にあっては、静かに動いていても膨大なエネルギーがあるので相手をくっつけることになる。雲の中には膨大なエネルギーがある。飛行機が雲の中に入るとその揺れの激しさで分かる。
雲は浮いてる。降った雨が水蒸気となり、天に上がって集まったものである。天の気の力と地の気の力が拮抗したところに浮いているわけである。天の浮橋に立っているように思える。そしてその拮抗が崩れて雨が地上に降る。天の気と水の循環である。

みんな使命を全うしようと頑張っている。万有万物はみんなそうなのだろう。
これを学ぶ事、そしてこれを合気に還元する事が、合気道を修行する者には大事であると、大先生は言われているはずである。

「万有万神の条理を、武道に還元する」を具体的にどうすればいいのかを次回書いてみることにする。