【第665回】  天の息と地の息と合わして武技を生む

前回の「手は腰腹からの異質の力で」にもあるように、魄の稽古からの脱出のためにいろいろと挑戦をしている。
前回、「手は天の村雲の剣としてつかわなければならない。この天の村雲の剣の手は、陰陽の気が流れる。手首を支点として指先から先(陽)と肩先(陰)の方向である。この2方向への相反する気によって強力な気と力が生じることになるものと感得する。」と書いた。しかし、何故、手をそのようにつかわなければならないのか、そして何故、そこに異質の力が生まれるのかはよく分からなかった。

有難いことに、それを大先生の教えである『武産合気』の中に出会ったのである。そこには、「天の息と地の息と合わして武技を生むのです。地の呼吸は潮の満干で、満干は天地の呼吸の交流によって息をするのであります。天の呼吸により地も呼吸するのであります。(『武産合気』P.76)」「水と火との動き、つまりタカミムスビ、カミムスビの二神の、右にらせんして舞昇りたまい、左にらせんして舞い降りたもう御行為によって、水精火台の生じる摩擦作用の模様と全く同一形式なのであります。(武産合気P.75)」とあった。
これで、試行錯誤をしながらやってきた技づかい、体づかいとこの大先生の教えが合致し、そしてこれまで挑戦した稽古が間違いではなかったことが証明されたと実感したのである。

例えば、これまで「手首を支点として指先から先(陽)と肩先(陰)の方向の2方向への相反する気によって強力な気と力が生じた」とやり、書いたが、これは、大先生が言われている「天の息と地の息と合わして武技を生む」に合致すると思う。
只、天と地の解釈に注意しなければならない。この場合のこの天地は、大宇宙の天地ではなく、ミクロコスモスの天地、つまりは人体の天地でもある。人体の天とは頭であり、手先である。地は足だけではなく、天との対照箇所と考える。また、天地は縦である。勿論、いずれは大宇宙の天地の息と合わして武技を生まなければならなくなるはずである。
更に、ここでの「息」も通常の息とは違う事を知らなければならない。まだ良くはわからないが、この息は阿吽の呼吸に近いのではないかと考えている。
それは稽古をしていれば解るはずであり、頭で考えているだけでは解らないものである。

また、これまで書いた「二方向への相反する気によって強力な気と力が生じる」ためには、まず手先の方向に気と力を出さなければならないのだが、これを大先生は、「天の息と地の息と合わして武技を生むのです」、「水と火との動き、右にらせんして舞昇りたまい、左にらせんして舞い降りたもう御行為によって、水精火台の生じる摩擦作用」といわれているのである。

この手をつかうと、相手の力が抜け、相手をくっつけ、相手を導くことができるようになる。
手先から先(天)、そして肩方向(地)に気と力を縦に流すと手首のところから横に気と力が出て、ここで気と力が縦と横の十字に働くことにある。これを上記では、「水精火台の生じる摩擦作用」と言われていると思う。
手を掴んでいる相手がくっつき、相手の力を抜かし、そして相手を魄でない力で導けるのは、この気と力が縦と横の十字に働く「水精火台の生じる摩擦作用」だと考える。

そしてここから魄ではない力で相手を制し、相手に技を掛けるわけだが、これを大先生は「武も妙精を腹中に胎蔵してことたまの呼吸によって科学しながら生み出していく」と云われているのである。
後は、「妙精を腹中に胎蔵し」「ことたまの呼吸によって科学しながら生み出していけばいい」ことになるわけである。これで、魄の稽古からの脱出が出来るかもしれないと考えている。