【第648回】  幽界をつくる

現代は忙しい社会である。縄文時代とか石器時代とは言わないが、少なくとも私の子供や青年時代(1960年代)に比べれば忙しくなっている。例えば、かっての伝達・通信手段は手紙であった。手紙を出せば返事は一週間かかった。急ぐ場合は電報があったが、親が危篤とか、大学の合格などのときしか打たなかった、特別なものだった。そして電話が普及した。会社はむろんのこと、家庭にも電話が入り込んで来た。このころから世の中は便利になると同時に忙しくなってきたように思う。
会社でも海外の通信は、1980年代頃はまだ手紙、そして急ぎのものはテレックスであった。テレックスの使用は高価で、時間、つまり字の分量によって料金がきまるから、少しでも字数を減らすべく、略語をつかったり、検閲者がいて、文の簡素化に努めた。朝出勤してまずテレックスのチェックをして、急ぎのものがあれば調査したり、会議を招聘したりバタバタしたものだ。このテレックスがなければ、もっとのんびり仕事ができるのにと、テレックスを恨んだものだ。
今は、テレックスどころではない。テレックスの後にはファックスが導入され、そしてメールになった。それに携帯電話を誰もが持つよう、持たされるようになり、どこでも、いつでも仕事が出来るよう、させられるようになってしまった。電車の中でも、中にはトイレの中で用をたしながら話をしている働き者もいる。全く忙しい限りである。

今の社会は物質文明社会、競争社会である。力(物、金、地位)がある者が力のない物を牛耳る社会であり、そのために力を獲得しようとする競争社会なのである。しかし、人には衣食住が必要であるから、このための経済活動も必要になる。そして経済活動をすると、どうしても競争社会の競争に巻き込まれていくことになるわけである。

人、取り分け競争社会にある人は、競争のない世界、物質文明と違う世界にあることを望んでいるはずである。だから多くの人が合気道の道場に通っていると思う。見えるモノを重視する顕界から、見えない何かを重視する幽界に生きたいと望んでいるのである。
だから、この見えない何かを重視する幽界ができればいい、つくればいいと考えている

それではどのようにしてこの物質文明、競争社会の顕界から離れた、幽界をつくるかということである。
我々別に特別な才能があるわけではない者がどうすればいいかという一つの提案である。

  1. まず、合気道を修業している者は、合気道道場は幽界であることを意識する事。道場は金持ちも貧乏人も、学歴も出身校や勤務会社も、国籍も性別も関係ない世界である。言葉も要らないし、知識も必要ない。ただ、顕界を一時忘れ、そして宇宙を感じ、宇宙の法則に則った技を練り、宇宙と一体化しようということだけである。
    金にも名誉にもならない。これが幽界の世界であると考える。
    幽界の世界は合気道の道場だけではないだろうが、他に思い当たらない。
  2. 合気道の道場に入ったからと言って、すぐに顕界での世俗なことを忘れたり、切り離すのは容易ではないはずである。焦らずに少しずつ、しがらみを取り除いていけばいい。そうすれば、段々と薄い幽界から濃い幽界になっていくと考える。
  3. 合気道の道場で濃い幽界に入れるようになれば、今度は、自分の周りの家族や友人・知人、社会に幽界の必要性を説き、そして幽界の小さな社会をつくっていく。
    等と考えている。大した考えとは思わないが、何かをやらなければ、前に進まない。今の社会に文句を言うだけでなく、可能性のある事から取り組むべきだろう。
また、これが合気道の使命と考える。大先生は合気道の目的は、世の中をよくする、つまり地上楽園建設であると言われているのである。
どんなに強くとも、技が上手くとも社会は評価してくれないものである。社会は何か自分たちも分からないが、何かを求めているはずである。例えば、社会の人たちは、本当に生きているという実感を持ちたいはずである。そしてそれは、顕界では難しく、幽界で可能であるということを伝えたいと思っている。