【第638回】  気形の稽古

合気は変わらなければならないと、開祖は言われているわけだから、変わらなければならない。我々が合気で一体化を目指している宇宙が、138億年来変わり続けているわけだから、合気も変わらなければならないのである。
合気が変わるためには稽古も変わらなければならないことになる。昔の柔術的な稽古や今やっている稽古に留まっていては駄目だという事なのである。

開祖は合気道をつくるにあたって、剣術、柔術、槍術などの武術を究められ、日本一強い武術家になられたわけであるが、その頃、またそれ以前の稽古は、生死を掛けた激しい稽古であったはずだ。自分の命を守り、どんな敵も殲滅するための稽古である。戦前の合気道の道場では、開祖のもと多くの猛者が激しい稽古をしていて、武道関係者からは「鬼道場」と言われていたという。

世の中が変わり、人が変わってくると、誰もが楽しめる稽古、危険を避ける稽古に変わってくる。
私が入門したのはこの時期になるわけだが、まだ、戦前の柔術的な稽古をする人もいて、大先生(開祖)は、合気道は変わらなければならない、力ではない等と度々お話されていたものである。

我々が現在稽古しているのは形稽古である。主に、合気道の基本技を繰り返し稽古し、宇宙の法則を形にした技を練り、身につけていくのである。技を身につけることによって、宇宙を取り入れているわけだから、いずれ宇宙と一体化することが可能になるわけである。
このような今の稽古は、戦前の過去の稽古人たちの稽古とは明らかに違うはずである。過去の人がやってきた稽古が、今とは違うのと同じように、未来の人がやる稽古は、今とは違っているはずである。今の稽古をその未来の稽古に向けて変わっていかなければならないと考えている。

開祖はまた、「合気の稽古はその主なものは、気形の稽古と鍛錬法である。」と言われている。鍛錬法とは呼吸力の鍛練と思うが、問題は「気形の稽古」である。
この「気形の稽古」こそ、我々の次の、未来に向けた稽古と考える。

合気の稽古は、柔術的稽古から、形稽古へと変わっては来ているが、まだまだ体力、腕力の魄主体の稽古と言えよう。そこで気を主体にした、気で体をつかい、気で相手を制し、導く稽古にならなければならないということになると思う。大先生は、以前から気形の稽古をされておられ、我々にも気形で技を示して下さっていたわけである。受けの相手は、大先生が力を込めているわけでもないのに、受けは頑張ることもできずに飛ばされたり、倒れたりした。あまり見事なので先輩の一人が、大先生が部屋に戻られたのを確認した後、自主稽古の時間に、大先生がやられたように、受けに触れずに受けを投げ、受けも素直にきれいに受けを取って楽しんでいた。確かに、上手く真似したと手を叩いて褒めていたところに、突然、大先生が入ってこられ怖い顔で、そんな稽古は我々にはまだ早い。もっと力一杯稽古をしなければ駄目だとお説教を頂いてしまったのである。
つまり、我々はまだまだ形稽古を力一杯しなければならないということであり、そして、それがある程度できるようになったら、大先生がやられている気形の稽古に変わらなければならないという事だと思う。

確かに、気形の稽古に変わっていくためには、やらなければならないこと、身につけなければならないことがあると見る。形稽古によって、陰陽十字の体のつかい方、イクムスビや阿吽の呼吸の息づかい等を身につける他に、「気」を感じ、「気」を使えるようにならなければならないだろう。なにしろ、気形の稽古になるのだから。

気形の稽古は形稽古と比べて、一般人の目に見える形は違わないだろうが、そこには「気」が働き、「気」が体(魄)の上になって、体を導いているはずであり、別の次元の稽古になるはずである。
大先生の写真や映像があるが、大先生はそれを気形でやられているのである。

この気形の稽古に変わっていくように、まずは形稽古をしっかり稽古し、次へ変わる準備にはいらなければならにと思っている。