【第633回】  気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親

これまで書いてきたように、技を使うにあたって、体はまず、腰腹、足、手の順でつかわなければならないし、そしてこの体を動かすのは呼吸(息)である。呼吸が体に先行して働かなければならないのである。つまり、呼吸、腰腹、足、手の順で働くことになる。

確かに、呼吸で体をつかうと、技は上手くいくし、イクムスビの呼吸で技をつかわないといい技が生まれないものである。
しかしながら、呼吸はときとして思うようにつかえないものである。息が切れてしまったり、思うようにつかえなかったりしまうのである。息が切れてしまうと、体の動きも滞ってしまい、いい技が生まれない。

この息づかいの問題を解決してくれるのが「気」であることがわかった。
「気」で呼吸(息)を導くのである。「気」によって呼吸が上手くつかえるようになり、体も動き、そして技が自由につかえるようになるのである。
この気で呼吸をつかうことを大先生は、「気の妙用は、呼吸を微妙に変化さす生親(いくおや)である。といわれているのである。
つまり、大先生は、気を上手につかうと、呼吸を微妙に変化させることができるから、気は微妙に変化する呼吸の生みの親であるといわれているのである。

息(呼吸)の前に「気」を先行させよ、ということである。まず初めに「気」を出し、その「気」の後に息(呼吸)をつかい、そして体(腰腹、足、手)をつかうのである。
また、気は呼吸を微妙に変化させるとあるが、これは気が出ていれば、息(呼吸)を吐こうが、吸おうが、止めようが、自由自在に息ができ、しかも体の動きは滞ることなく、そして技も自由に出るのである。
これを大先生は、「気の妙用によって、身心を統一して(後述)、合気道を行じると、呼吸の微妙な変化は、これによって得られ、業が自由自在にでる」、と言われているのである。

この気の妙用で、呼吸を変化させ、技を自由自在につかう稽古例として、太刀取りでのさばきで説明する。

  1. 息を軽く吐いて、体(腰腹、足、手)に気を満たす。この気は「空の気」で、体を支え、保つ生命力てある。これが、上述の「身心を統一」することになる。
  2. 体から気が発散してくる。この発散する気に合わせて息を引き、相手の間合いに入る。初心者はここで、息を吐いて相手に向かうので、吐く息どうしでぶつかってしまい、相手の間合いに入れないのである。気によって息を引くと、相手と一体化する。後は、切るも、切らずにすり抜けるも自由自在である。気の向くままに動けるのである。
  3. 最後の切ったり、打ったりの収めは、気に従って、息と体(手)でやればいい。
気で息をつかえば、気は息と体の動きを自由自在に変化させることができる。相手の攻撃の速度や勢いに関係なく、電光石火にも、スローモーションでも捌くことができるのである。
勿論、そのためには下地がいる。やるべきことを積み重ねる稽古をしていなければならない。例えば、体は陰陽十字につかい、体は捻らず、捩じらず、バラつかず、一個のしっかりした個体として動かなければならない。このひとつが欠けても太刀さばきはできない。足が止まってしまったり、体をひねってしまっては、さばけず、切られてしまうことになる。自殺行為である。

気で息をつかい、体がつかえるようになれば、この手に太刀を持てば、合気剣になるわけである。剣だけではなく、短刀でも杖でも持ては、合気短刀、合気杖となるわけである。
ということで、合気道の剣や杖は、剣道や杖道とは全然違うものなだということを承知しておかなければならないことを、付け加えておくことにする。