【第624回】  空の気と真空の気

我々が修業している合気道は、宇宙の営みを形にし、宇宙の法則に則った技を錬磨しながら宇宙との一体化を目指しているわけだが、中々容易ではない。
技はこうであるという定まった形はないし、確立された手本もない。あるのはイメージだけである。だから教えることも、教わることも難しい。
大先生が一教や四方投げ等の形をつくられたが、大先生はその形の中に技を満たし、そして自由自在に技をつかわれたわけである。
従って、大先生は、技はどういうものなのかは勿論のこと、技を生み出す方法もご存じだったわけである。

技を生み出すために大先生は、「真空の気と、空の気を性と技とに結び合いて、練磨し技の上に科学しながら、神変万化の技を生みだすのであります」(武産合気 P.66)と言われている。
技を生み出すためには、まずは真空の気と、空の気を性と技とに結び合わせなければならないことになる。
最初の難関は「気」である。合気道を修業していくと、この「気」が重要なところで顔を出し、困惑させられるようになる。「気」は最早避けて通れなくなってきた。

まず、この箇所で、「気」は一種類でなく複数あるということになる。ここでは「真空の気」と「空の気」がありこれを結び合わせなければならないというのである。

「気」はこれまで、有川先生の教えから、宇宙生命力としてきた。これを基にこれらの気を研究してみたいと思う。
まず、「真空の気」であるが、大先生は、「真空の気は宇宙に充満している。宇宙の万物を生み出す根元」であると言われている。現代科学でいう「ダークエネルギー」「ダークマター」に相当するのかも知れない。
この「真空の気」を感じられのは、阿吽の呼吸で弓を思いっきり引く時や剣を振り上げる時である。己以外の大きなエネルギーが生じ、働くのが感じられる。

次に「空の気」である。「空の気」を大先生は、「空の気は物である。それがあるから五体は崩れずに保っている。空の気は重い力をもっている。また、本体は物の気で働く。空の気は引力を与える縄」であるといわれている。
この「空の気」は一般的につかわれている、「気を出せ」の気であると考える。手先が縮んでいるとかなどで気を出せ、気を入れろと言われて出すエネルギーである。このエネルギーが気力ということになるが、大先生は、気力は物であると言われているわけだが、それがこの初めにある「空の気は物である」であろう。この空の気は指先を伸ばしたり、張ったりするが、五体を崩れずに保っているのである。この空の気がなければ五体が崩れてしまうのである。これは私自身が体験しているのでよくわかる。若い頃、ある夏の暑い日に日向でビールを飲み、帰り道で気持ちが悪くなって立ち止まった途端に、丸太が倒れるように道路に倒れたのである。腰を下ろそうとか、手で何とかしようなど何もできず、只、無機質になった物体が倒れたのである。これは「空の気」が完全に抜けきったからだと考えている。だから、体(本体)は「空の気」で保たれ、そして動くことにもなると信じている。

また、「空の気」は重い力を持っているわけだが、大先生の演武を映像で見ていると、相手に触れていなかったり、ちょっと触れただけで受けの相手が崩れているのは、この「空の気」の重い力だと考える。
最後に、「空の気は引力を与える縄」であるが、これは相手と接触した瞬間に相手と結び、一体化してしまうことであろう。

「真空の気」の宇宙エネルギーに対して、この「空の気」は、人のエネルギーである小宇宙(人)エネルギーであると考える。

技を生み出すに当たって、真空の気と、空の気を性と技とに結び合わせなければならないが、真空の気と、空の気をどのようにすれば結んでつかうことが出来るのかは、分量の関係で次回に譲ることにする。