【第584回】  光を生じる合気道

誰でも幼児の頃は光輝いている。幼児の遊んでいる時の顔や姿、親と一緒にいる時の顔は輝いている。小学生、中学生、高校生ぐらいまでは輝いているようである。それが年を取って社会にでると、それまでの輝きは消えていき、顔つきは段々と暗くなり、姿も陰気になってくる人が多くなるようだ。

合気道でも入門するときは顔を輝かせ、期待に満ちて稽古に励むが、稽古を10年、20年と続けて行くに従い、輝きが失せていき、陰気な顔になっていく人が多くなるのが最近特に気になる。特に、責任のある高段者は注意しなければならない。稽古を続けるに従って、暗くなってきたのでは後進達に示しがつかない。顔が暗くなると技もどうしても陰気になってしまうものだ。

合気道は光を生じるように稽古をしなければならない、と開祖は云われているのである。光が出れば熱もでるから、熱と光が生じるように稽古をせよと言われるのである。顔や姿だけではなく、技にも光が出るようにするのである。

熱と光を生じるのは愛であり、愛の精神であるという。
合気道の愛は思いやりと感謝だと考える。稽古相手を怪我させないように技を掛けたり、相手が上達するように受けを取ったりの思いやり、また、稽古を一緒にできることに感謝しながら稽古することである。
開祖はこれを、「愛より熱も出れば光も生じ、それを実在の精神において行うのが合気道であります」(「合気神髄」P.125)と言われている。

愛で輝く、愛がなければ暗くなる。一般社会においても、恋愛や親子愛などを考えればよくわかるだろう。合気道でも稽古相手、稽古人、そして合気道に愛がなければ暗くなっていくようである。
合気道に愛を抱くようになると自分自身を愛するようになる。己を愛することは、万有万物を愛することになるのだろう。
万有万物を愛するということは、万有万物は共に宇宙天国完成のために生成化育をしている同朋であると思うことになる。

木々や草花を見ても、生成化育している同朋と見れば、その輝きが見え、人間のような暗さは見えない。そして自分も暗くならないように、輝けるようにならなければならないと教えられる。そのためには、己に与えられた宇宙完成のための生成化育の役割を果たすことであろう。

己の生きている事、稽古をしていることが宇宙完成のために僅かでもお役に立っていると思えれば光を生じるはずである。開祖が、生き方も稽古も利己に結び付けてはいけないといわれたのは、それでは光も熱も生じないし、挙句の果てには体を壊すということである。
正しい生き方をしているのか、正しい合気の道を行っているのかどうかは、己の顔と姿の輝き具合で解るのではないかと考える。