【第576回】  魂が魄の上

前回前々回と二回にわたって「魂のひれぶり」をテーマに書いたわけだが、要は、「技をつかうためには、力の魄ではなく、その魄を土台にして裏に置き、精神の魂が魄の上になって魄を働かせるようにしなければならないということである。つまり、技は魂で掛けろということである。」ということであった。
今回はこれに関連して、「魂が魄の上になる」ためには、技をどのようにつかうことなのか、体や息をどのようにつかえばいいのかを研究してみたいと思う。

合気道は魂の学びであるといわれ、技は腕力や体力の魄ではなく、目に見えない精神である魂で掛けなければならないと教わってきたが、魂で技をつかうとはどういうことなのか、どうすれば魂で技が掛けられるのか皆目見当がつかなかった。
しかし、前回の「魂のひれぶり」でそれが少しわかってきたし、その理合いで体(魄)と心(魂)をつかうと、これまでとは異質の技が出てくるようになったので書き留めることにする。

「魂のひれぶり」は、魂が魄の上になることであるが、これを簡単に云えば、技を腕力や体力など体で掛けるのではなく、その体を土台にして、精神・心の魂で掛けるという事である。
しかし、技を精神・心の魂で掛けるといっても、精神・心の魂だけでは相手はびくとも動いてくれないものである。念力でモノを動かそうとしていくら力んでもびくともしないのと同じである。

これを座技呼吸法で説明してみる。
両手を受けに掴ませて相手と一体となり、掴ませた手先及び相手と己の腰腹が結び、腰腹から力と気を出す。これまではここから腰腹をつかって左右に相手を振って倒していたが、これはまだ体(魄)の稽古であった。
今度は、ここの相手と結んでいるところ、ぶつかってぶつからないところで持たせた手・腕を動かさずに、地の引力に従って落ちていく手に息を入れながら精神・心を満たしていくのである。手・腕から気が発散すると相手はちょっと浮き上がる。そして持たれている手・腕に、相手が引く力とこちらの腰腹で引く力が集まる。すると相手は不思議とこちらが思うように浮き上がってくるので、後は精神・心のままに手と体を動かせばいい。

力(体)は表に出さないで、裏に控えさせておくわけだが、裏に控えている力は土台となるわけだから、強ければ強いほどいいことになる。だから、力をつけ、体をつくる稽古を十分にしておかなければならないことになる。

大東流創始者の武田惣角が旅の途中倒れて、宿で静養中に門人や見舞客が来ると、寝ながら腕を出して掴ませると、その客は浮き上がったとか、飛ばされたと、何かで読んだことがある。寝込んでいたわけだから、腕を上げることはできなかったはずだから、腕を動かさずに、魂でやったのだと考える。
勿論、開祖の技はこの魂で自由自在につかわれていたわけである。

「魂が魄の上」の最適な稽古は、諸手取呼吸法、二人掛け・三人掛け呼吸法であろう。つまり、魄の限界を超えることができるのは魂であるからである。