【第562回】
八力
開祖は、「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこないだろう」といわれているから、本当の合気道の力を出すためには、一霊四魂三元八力、呼吸、合気を理解しなければならないことになる。何とか本当の合気道の力を出したいから、これらを理解していきたいと思う。
そこで、今回はこの内「八力」を研究してみることにする。
八力の研究は合気道が世に出る以前から行われており、その有名なものは、本田親徳の、八力とは動、静、引、弛、凝、解、分、合の八つの力であり、これらの力は動と静、引と弛、凝と解、分と合と対照的であるというものがある。
そして合気道開祖は八力を、動、静、解、凝、強、弱、合、分と定義されているようだ。
八力で開祖と本田親徳の違いは、本田の引、弛に対して開祖は強、弱と云われているところである。
我々は合気道家であるから、勿論、開祖の強弱の力を取りたい。
この両者の八力観を基にして八力を解釈してみる。
- 八とは無限で、八力とは無限の力ということ。つまり、他にも沢山の力があるであろうということである。
- これらの力は動と静、凝と解、強と弱、分と合と対照的に働く力である。
- そして、@の関係で、対称的に働く力は無限にあるはずだということである。
- 対称的に働くとは、陰と陽の表裏一体ということであり、引力を発生させることになる。
- 合気道は引力の養成であるとも云われるから、引力を発生させる八力の錬磨と会得は必須ということになるだろう。
次に、八力、動と静、解と凝、強と弱、合と分がどのような力なのか、技の錬磨でどのような働きをするのか等を研究してみることにする。
- 動と静:字面からは、動く力と静止している力となる。これが対照力として一対になっているわけだから、動きと静止が一体となっている力である。動いているが静止もしている力である。また、静止しているが動いているのである。
技でこの動と静の力を具体的につかうと、どんなに激しく、早く動いていても、瞬時にその動きを静止できる力であり、また、静止していても、いつでも自在に動き出せる力ということになるだろう。
- 解と凝(ぎょう):解き放すと一点に集中する力である。相手の手を四方投げなどで掴んで投げる際、相手が動きたいようにするために遊びをつくってやる力、相手の気ままな力を固めてしまう力という事になるだろう。例えば四教で相手の手首を絞りながらいつでも緩めたり、離せる力であり、また、緩めてはいるが、いつでも絞り込める力という事になるだろう。
- 強と弱:これは字のごとく、強い力と弱い力と一体となった、強弱の対照力である。技を掛ける際も、強い力をつかっていてもいつでも弱い力に切り替えられるように、強い力の後ろに弱い力、そして弱い力の後ろに強い力が控えている力である。
尚、本田親徳は開祖の「強と弱」の力を「引、弛」の力といっているので、それを「強と弱」に関連付けて解釈してみると、引くことが強であり、緩めることが弱になる。確かに、技の稽古で、気と息を引くと強い力が出るし、気と息を吐くと緩んで力が弱まる。開祖は、引く息は火、吐く息は水と云われている。
- 合と分:集中する力と分散する力と考える。すべての八力は、気と呼吸によって出るものであるが、この「合と分」はその典型であろう。気と息によって、腹や任意の部位に集中する力とそこから発散する力であろう。合気道の技は、アウンの呼吸により、この合と分の力をつかわなければならない。
この八力を自分なりに分類してみると、「動と静」は時間的な力、「解と凝」は横に働く力、「強と弱」は縦に働く力、そして「合と分」は集中と分散の力となるだろう。
九力、十力もあるのかも知れないが、今のところ、他の力は考えられないから、この八力に集中して稽古をすればいいのだろう。
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