【第561回】  天地の気と天地の呼吸

第541回で「天の気」を書いた。お陰で技が変わってきたことは確かである。天の気と天の呼吸によって、受けの相手を導きやすくなり、技が効くようになるのである。
しかし、まだ己の体と気持ち(気)が地に落ちず、体と気持ちが地とぶつかり、弾いてしまい、腰が浮いたり、ふらついたりしてしまうのである。
地の気が働いていないのである。天の気があれば、地の気があるのは当然であるわけだが、それを怠っていたわけだ。だから己の呼吸(息)が地に下りていかず、いい技がつかえないのである。

天の気に己の気を合わせるのはそう難しくないが、地の気に己の気を合わせて地に下ろすのは難しい。気が下りなければ、呼吸(息)も下りないし、心体も沈まないことになる。だから力も出ないし、技がきかないわけである。

地に下がる地の気を得るのが難しいのは、天の気のように己の意識と呼吸によって得られないからである。意識して呼吸で下ろそうとすればするほど、はじき返されるのである。
それではどうすればいいのかということになるが、開祖が、「地の引力によって天の気が下がってきて、即ち明るい天のみいずが地に下りて来る」(武産合気 P.32)と云われているように、地の引力に任せるのである。
ということは、主体は天の気ということになる。

これが天の気と地の気である。この天地の気(開祖は、主体的な天の気とだけ言われている)に天の呼吸(天と地の呼吸)、縦の呼吸を合わせ、そしてまた潮の干満、赤玉、白玉の呼吸、横の呼吸に合わせて技を生み出していかなければならないと云われているのである。

つまり、天の気により、地の気が起こり、そしてそれに呼吸を合わせることによって、生み出される地の呼吸である潮の干満に合わせれば技が出るという事である。天の気、そして天の呼吸によって地の呼吸の干満が起こり、技が生まれるのである。これを開祖は、「天の呼吸との交流なくして地動かず、ものを生み出すのも天地の呼吸によるものである。」と云われているのである。

ここにもあるように、まずは天の気と己を結び、そして地の気、つまり、天地の縦の気と結ぶことが大事になる。確かに、開祖や有川先生の動きや姿勢を、画像で拝見していると、この縦の天地の気としっかりと結んでいて、軸がぶれたり折れたりせずに体をつかい、動かれているのがよくわかる。
それに引き換え、われわれ凡人や初心者の態勢や姿勢は、体軸が折れ曲がったり、ねじれたりしている。これは天の気との結びがないことになる。

更に、この天の気を大事にしないと、手を無暗につかうようになる。初心者が手を振り回してつかうのは、天の気と結ばす、そして天地の呼吸をつかわないからだと思う。先ずは縦(天地の気・呼吸)をつかい、次に横(地の呼吸)をつかわなければならないはずである。

後になってしまったが、それでは天の気とはどのようなもので、どのような働きをしているのか、私の考えを書いてみる。
具体的なもの、目に見えるもので説明してみると、植物である。植物は天に向かって伸び、成長する。天に植物が求める何かがあるはずである。気とは宇宙のエネルギーと云われるから、天のエネルギーに向かって、またはエネルギーを求めて伸びていると云えるだろう。

合気道の修業の目標は、宇宙との一体化であるが、この天の気と気結びし、それに呼吸を合わせていくことは、その目標に近づくことになるはずである。