【第56回】 摩訶不思議

相手に対して話をしたり、体を動かす行為は、多くの場合、相手を納得させるためのものである。合気道の技をかける場合も、相手に納得してもらえるようにしなければならない。しかし、相手を真から納得させるのはそう容易ではない。相手より力がちょっと強いとか、技がちょっと上手いとかでは、人はなかなか真から納得しないものである。

大体において、相手をも自分をも正当に評価するのは難しいもので、自分と同じレベルでも自分より下と見なし、レベルが高くとも自分と同じだろうと見て、自分より上だとはなかなか認めようとしないのである。技を使った場合でも、見てわかったり、頭で考えて分かったり、理屈で分かるようでは、相手を本当に納得させるには不十分であることが多い。

真から人を納得させるものは、考えても分からない、摩訶不思議でなければならない。開祖もよく、「合気道(の技)は摩訶不思議でなければならない」と言われていた。摩訶不思議とは、人知を超越した素晴らしさということである。 技が摩訶不思議であるためには、実生活と同じ次元ではなく、高次元で使わなければならない。しかし、高次元でも現実の次元と一つ上の次元では、例えば、初段のボトムは一級のトップと同じレベルとなると同様、現実の次元のトップとその上の次元のボトムが同じレベルとなるので、次元は二つ以上高くなければならないと、摩訶不思議とならないことになる。

例えば、諸手取り呼吸法で、相手に諸手で取られた手を鍛えて、諸手に負けない手ができれば、一つ上の次元でできることになったことになり、そして手よりも強い胴(腰、背を含む)が使えれば、その上の次元でできることになる。この次元ができてはじめて、相手は納得してくるのである。しかし、次元はまだまだ上がある。開祖が示された技などは、われわれが想像もできないような高次元のものであったはずである。それ故、誰もが摩訶不思議と思い、誰もが納得したのである。摩訶不思議の合気道になるようより高い次元を目指そう。