【第558回】  「合気」とは何か

前回は、合気道の極意を得るためには、「自分を知り、理を究め、合気の技をつかわなければならない」と書いたが、今回は、この内で最も難解な「合気の技」の「合気」について研究する事にする。

「合気」という言葉は、合気道の言葉の中にもあるように、非常に身近なものであり、親しい言葉であるが、よく考えてみると分かっているようで、実は全然良くわかっていないし、難解なものなのである。
しかし、われわれは「合気道」を修業しているわけだから、この合気道の「合気」とは何なのかを知らなければならないだろうし、また、この「合気」が良くわからなければ、前述したように、極意を得られないわけだから、「合気」を知ること、身に着けることは必須ということになる。

それではどうすれば、「合気」がわかるようになるかということになるが、それも開祖の教えに従えばいい。開祖は、「合気」を『武産合気』『合気神髄』で頻繁に説明して下さっているから、その中で研究すればいい。
開祖は、「合気」をいろいろな角度や次元からご説明されているから、それを自分なりにまとめ、理合いの技でつかい、身に着けていけばいいと考える。

開祖は、「合気」を次のようにご説明されている:

この例文で自分なりに、「合気」とは何かを、自分に分かりやすいように、出来るだけ簡単にすると、「合気」とは、「自己の気と宇宙の気が一体となることである」ということだろう。
また、「合気」は、「己の力や技から出るものではなく、宇宙との結びで生み出される魂の力、響き・気であり、それは無限の力を生み出すものである」ということになるだろう。
つまり、自己の響きと宇宙の響きが同調するということである。

この己の響きと宇宙の響きが同調し、交流し合うことを、開祖は「山彦の道」であり、合気道の妙諦であると云われ、それを次のようにいわれている。
「五体の<響き>は心身の統一をまず発兆の土台とし、発兆したるのちには宇宙の<響き>と同調し、相互に照応・交流しあうところから合気の《気》が生じる。すなはち、五体の<響き>が宇宙の<響き>とこだまする<山彦>の道こそ合気道の妙諦にほかならぬ」

やはりこの「合気」を知り、「合気」を生じさせられなければ、合気の道を先には進めないということになるわけである。