【第542回】  魄に墜せんように魂の霊れぶりが大事

合気道は魂の学びであると言われる。
しかし、これは初心者には理解しにくい、所謂、禅の公案のようなものである。
何故、難しく分からないかというと、初心者は魄の世界で稽古をし、魄の次元で見たり、考えたりしているからである。稽古を、形に頼る形稽古、腕力や体力の魄の力に依存する稽古をしているのである。

勿論、この魄の世界、魄の次元の稽古も大事であり、合気の基本の形を覚え、力を養成し、体力・気力をつけなければならない。これらの魄が不十分だと、そこに収まるはずの魂が収まらないので、更に、魄に頼っての稽古を続けなければならないことになる。場合によっては、それが最後まで続くことになるようである。

己の限界まで十分に魄の力をつけてくると、魄の稽古では満足できなくなってくる。腕力や体力に頼った稽古をしても、己が満足できないし、相対稽古の相手も納得していないことが分かるようになるからである。
そして魄の力に頼らず、己の力以上の力で稽古がしたくなるのである。
しかし、そのためにどうすればいいのか、その稽古への入り口がなかなか見つけられないのである。

そこで、「合気道の思想 第539回 『魂を表に、魄を土台に』」に書いたように、魂と魄を意識し、呼吸によって、魄が表や前に出しゃばらないように、技をつかっていくようにするのである。魂によって魄を動かすようにするのである。

それができているのかどうか、どれだけできているのかは、己の体(魄)と心(魂)が教えてくれるから、己の魄と魂と対話しながら、魂で魄が動くようにしていけばいい。そのために、魄が土台で、魂が上になり、魂で魄を動かすとは、どういうことなのかを知りたければ、開祖や有川定輝先生の技と動きをビデオや写真で見てみるのがいい。

これは有川定輝先生の正面打ち一教の一瞬を捉えた写真であるが、腕力・体力ではなく、気持ち(魂)で技をつかっていることが分かるだろう。先生が培った力(魄)が基になり、盤石な態勢の基、強力な気持ち(魂)で受けの相手を制し、誘導しているのである。
それ故、先生は相手の手をつかんだり、抑える必要はなく、手は相手の腕にちょっと接しているだけなのである。そこには引力が働いている。ここには魂が働いているわけである。これを魂の霊のひれぶりというはずである。

開祖は、「魄に墜せんように魂のひれぶりを大事にしていくのが、合気の鍛練法である」(武産合気 P.73)といわれている。
つまり、魄を土台にし、魂を表にして、魄に墜せんように魂の霊れぶりで技の錬磨をしていくのが、合気の鍛練法というのである。
すべての技をこれで鍛錬していかなければならないが、まずは自分にやりやすい技(形)から入っていくのがいい。例えば、写真にある正面打ち一教などは、難しいはずだから、片手取り呼吸法や坐技呼吸法などから始めるのがいいだろう。

それまでの魄の稽古は、このための準備段階ということになるだろう。それまで培った魄を土台にし、しかも魄に頼らず、そして魂を表にして、魂のひれぶりを大事にして稽古をしていくのである。