【第515回】  八百万の神と真理

半世紀以上、合気道の稽古をやっているが、十分やりきったと思うどころか、やることがどんどん増えてきて先が見えないでいる。完全に合気道をマスターすることなど不可能だということは分かったし、大事なことは、どこまでその完全な目標に近づけるかということである、ということも分かってきた。

合気道の稽古を続けるなかで、いろいろな事を教えて頂いた。技の事、宇宙の事、己の事等々、学校でも書物でも学べない事を学んだのである。

だが、先生や書物に教わらないのに、なぜいろいろな事がわかってくるのか、それが不思議である。今までわからなかった理合い、できなかった技が、どうしてわかり、できるようになってくるのだろうか。

だが、準備運動ひとつにしても、木刀の素振りにしても、技の錬磨のための合気道の技の形にしても、やることはどんどん増えていくし、やり方も変わっていく。すべてのもの・事のなかには、無限・無数の宝が潜んでいるのである。既に宝は存在しているわけだから、それを探し当てなければならない。いくら見つけても、まだまだいくらでもあるようだ。

それに、常日頃から本当に不思議に思っていることだが、この合気道の論文を中断もせずに10年以上も書き続けていることや、今ここで書いている文章も自分自身の頭で書いているのではなく、誰かに書かされているように思えることである。すべては誰かが導いているとしか思えないのである。

開祖は、それは神が導いて下さるのだといわれる。神とは、八百万の神である。ありとあらゆる場所と時間、宇宙に詰まっている神様が守護して下さっているのである、ということである。

ただし、八百万の神が導き、守護して下さるためには、合気道の正しい技を生み出していかなければならない。それを「つまり天の気によって天の呼吸と地の呼吸を合わせて技を生み出す。これが人のつとめであり、その上吾人には八百万の神々が悉く道に守護してくれることになっている」といわれているのである。

なぜ合気道の技から神になるのか、ということであるが、かつて本部道場で教えて下さっていた有川定輝師範は、これを「技から道、道から神っていう言葉がありますね。技を極めることによって神につながる。だから私(有川)は技即道即神という考えですね。」といわれているのである。そして、「道とは技を極めていくという意味で、極めることによって普遍的なものが見えて来るわけですよ。普遍的なものというのは真理ですから。真理というのは神ですね」ともいわれている。

つまり、神とは八百万の神であり、普遍的な真理ということである。道にのって技を極めていき、物事を探究していけば、普遍的な真理が見えてくる。これが八百万の神々が悉く道に守護し、導いて下さるということで、神につながるということであろう。それが、神習いということだろう。

神の守護、神の導きの神習いをするためには、合気道で理合いの技を生み出していかなければならないが、神様ともつながりがなければならないはずである。神様と己をつないでいるものを、合気道では魂の緒という。この魂の緒を磨かなければ、神習いはできないのだという。それを、技の錬磨で磨いていくのである。

ロボットが人間の能力を超えるのではないかといわれているが、ロボットには魂の緒がないので、神習いはできないはずである。だから、神の守護も導きもないので、人間のように宇宙にある無限の真理を会得していくことは不可能であろうと考える。