【第511回】  合気道は形(かたち)はなく、妙技をつくる

われわれ合気道人は、形稽古で技を身につけるべく日々稽古に励んでおり、少しでもよい技を身につけようと精進しているはずである。

初心者のうちは、基本の形を覚えようと一生懸命に稽古するものだ。私も何とか基本の形を覚えようとしていた頃のことであるが、いつものように突然、大先生が道場に入って来られて、技を示され、お話をされたのである。

しかも、驚いたことに、その時の大先生は「合気道には形はない」といわれたのである。そのお言葉は、その後の稽古で何度もお聞きすることになる。だが当時は形を覚え、身につけることが合気道の目標であると思っていたので、そのお言葉はショックであり、どういうことかもわからなかった。周りの先輩方も戸惑っていたようだった。

大先生晩年の5年間に稽古した後、ドイツへ行ったが、その旅の途中に乗り物の中で合気道の話をしようとすると、必ず合気道とは何ですかという質問がまず出るのである。二教できめるとか四方投げで投げて、これが合気道ですと言う訳にもいかず、結局、合気道とは何かをうまく説明することはできなかったことを覚えている。

今考えれば、大先生がいわれていた、合気道には形はない、ということが理解できてなかったからだと思う。合気道には形がないから、見せられなかったのである。少なくとも上手な取りと受けの二人で演武をすれば、ある程度の形を見せることはできるだろうが、一人で十分に合気道を説明することはできなかったのである。

そこで、合気道とは何かを考えなくてはならないだろう。まずは、大先生がどのようにいわれているかを調べることにする。そのいくつかを集め、自分なりに分類してみると、次のようになろう。○は大先生のお言葉である。

合気道とは己と宇宙とを一体化する道(方法)
○己の心と肉体を宇宙万有の活動と調和させる鍛錬
○宇宙の霊、体に同化し、そして和合の光のこの修行をすること
○宇宙のいとなみが自己のうちにあるのを感得するもの
○万有万神の条理を明示するところの神示

2.合気道とはみそぎ
2−1 己自身のみそぎ
○皆空の心と体をつくり出す精妙なる道
○禊の技
2−2 宇宙のみそぎ
○宇宙みそぎの大道
○宇宙の大虚空の修理固成

3.合気道とは無限の力の体得
○無限の力、魂の力を体得すること
○魂の学び
○音感のひびきの中に生れて来る
○光るある妙技をつくる

合気道とは何か、を端的に表わしていると思われる文章は「合気道は自己を知り、大宇宙の真象に学び、そして一元の本を忘れないで、理法を溶解し、法を知り、光るある妙技をつくることである」(『合気神髄』)であると思う。

合気道を武道的な観点から捉えれば、一元の本の意志である宇宙楽園建設の生成化育のお手伝いをすることであり、それを妨げるものをなくしていく「武」である。そのためには、上記の3.無限の力の体得だけでなく、2.みそぎ、1.己と宇宙とを一体化、等もしていかなければならないことになる。

ここまでの合気道には形はない。大先生はこれを「合気道に形はなく、合気道はすべて魂の学びである」(『合気神髄』P.16)といわれているのだと考える。合気道とは何かを説明するとしたら、すべて魂の学びであり、その内容は上記のようなことである、と答えなければならないだろう。

それでは、われわれが日頃稽古をしている形(かた)稽古と、そこで錬磨する技にどんな意味があるのか、を考えなければならないだろう。

ます初めの内は、誰でも己が稽古している合気道の形(かた)や技が合気道である、と思うはずである。だから、知らない人に合気道を説明しようとすれば、二教や四方投げをかけて、これが合気道です、というだろう。そうすると、それを見た人は、合気道とは攻撃を防御したり、決めたりする武術の一種であろうと思うはずである。ちなみに「合気道の技の形は体の節々をときほごすための準備である」といわれる通り、これは合気道のほんの入り口のものなのである。

しかし、形と技なくしては、合気道にはならない。すなわち、上記の1.〜3.の中身の合気道になるためには、形稽古で技を錬磨しなければならないのである。形稽古で宇宙の営み・法則に則った技を錬磨し、宇宙を身につけ、宇宙と一体化していくのである。もっと簡潔にいえば、合気道の形稽古を通して技を錬磨する以外に、合気道を身につけることはできない、ということである。

技を身につけるために形があり、形を通して技を磨き練り、宇宙を身につけていくのである。合気道の技は真の合気道のための方便であり、手段、方法ということになろう。

形稽古で技が身についていけば、それだけ真の合気道が身につくことになるから、己のつかう技がどれだけ真の合気道に近づいたかを表わすバロメーターとなる。だから、技は大事なのである。

合気道の形(かた)は、技で構成されている。宇宙の法則に則った技で構成されていない形は強くもないし、美しくもないはずである。形には技をどんどん詰め込み、凝縮していかなければならない。技が凝縮して飽和状態になれば、妙技になり、名人ということになるだろう。そして、形は妙技になるので、臨機応変、自由自在になり、形(かたち)はない、ということになると考える。