【第51回】 理道

合気道の「道」とは、理(ことわり)のことであり、合気道は理道ということになる。合気道の理道は、「宇宙万世一系」といわれ、宇宙が生成され、一元の神(元津御親神、"す"の御声)から出てきて、営々と続いてきている宇宙の営みの流れ、"玉の糸筋"であり、稽古はその理道を探し、その道を遡っていくことである。

従って、合気道は変ったことや、気をてらうことを求めるのでも、やるのでもない。やるべきこと、求めるべきことは既にあって、決まっているのである。ただ我々自身が動いて、その宇宙万世一系の流れを探し、その流れに乗らなければならないだけである。人には気負いやてらいがあるし、特に現在は物質文明の社会で、パワーがものいう社会であるので、多くの邪魔が入り、その流れにのるのは容易ではない。その結果、本流の流れに乗れず、自己流になり、支流に入ってしまうことになる。

合気道の技は理に適っていなければならない。どんなに強い力で押さえたり、倒しても、理に適っていなければ相手は納得しないだろうし、反発してくるだろう。逆に、初心者や力が弱いものに、一瞬ではあるがフーと崩されることがあるが、それは理にかなった動きが無意識に出たものだろう。

技や考えが宇宙の営みの流れに乗れば、後はそこからどんどん遡っていけばよい。才能と努力によっては、一元の神(元津御親神)に辿り着くことは困難にしても、どんどん近づくことができる。合気道の技の稽古は、それを可能にする秘儀である。この理道にかなった秘儀を通して、合気の体ができ、合気の技が身につき、顕界から幽界に遊ぶことができ、そして神界、一元の神へと遡っていけるのだろうと思う。安易に稽古をせずに、理をもとめ、理に適った稽古をしなければならない。