【第505回】  二つの気

「気は力の本であるから、最初は充分に気を練っていただきたい」と、開祖はいわれている。武道である合気道には力が要るが、その力を得ていくためには気を練らなければならない、といわれているのである。また「合気はすべて気によるのであります」などともいわれている。

このように開祖も「気」を重視されているが、練るべき「気」がどのようなモノであるか分からなければ、練ることもできないし、力もつかないことになる。「気」が難解この上ないことは、誰もが承知のことだろう。

これまでは、「気」を宇宙生命力とか宇宙エネルギーといってきた。だが、この解釈では不十分さを覚え、「気」はさらに深く探究しなければならないと思うようになった。

例えば、己の体を心のままに動かすのは息づかい(呼吸)であり、心と体を結びつけるものは息であると思う。だが、息で心のままに体をつかうと、大きい力が出るので、力の本となる気が働いているように思うのである。しかし、この力である気は、宇宙生命力とか宇宙エネルギー等という大げさなものではないだろう。

開祖や有川定輝師範などの武道の名人や、芸能・芸術などの世界、あるいはビジネスの世界で、名人・達人たちの放つ強烈なエネルギーがある。これは「気」ではないかと思うが、つまり「気」とは人の衣服でもあるということであろう。衣服である「気」はその人の存在や強さ、優しさを教えてくれるものであるが、この気は宇宙よりももっと人間的な、生命力・エネルギーである。

合気道の稽古では、手・腕を鋭利な手刀としてつかわなければならないが、指や手や腕が鈍刀のように折れ曲がってしまうのは、「気」が通ってないからであろう。しかし、稽古を積んで気を通していけば、鋭利な剣のように真っすぐになっていくものである。つまり、「気」は自在につかえるということでもあるが、これも宇宙規模のものではないだろう。

実は『武産合気』や『合気神髄』を熟読すると、開祖は気とは何か、どのように気を練っていくのか、等を教えられている。
「気」が解り難いのには理由がいろいろあるが、その一つに、「気」にはいろいろな種類があることがある。例えば、真空の気と空の気、自己の気、天地の気、武の気、魂の気=宇宙組織の気=造り主、物の気、九星の気、全大宇宙の気、大地の気、アウンの気、等である。

だが、「気」は大きく二つに分類されるのではないかと思う。つまり、魂の気と、魄の気である。魂の気とは、宇宙組織の気である。火と水の交流によってできたものであり、宇宙に充満していて、宇宙の万物を生み出す根元である。これを開祖は「真空の気」といわれている、と考える。

次に、魄の気であるが、これは重い力をもっていて、物と物を空気を媒介として結ぶ引力をもつ。また、相手と接触してくっつけてしまう引力も、この気といえよう。この魄の気を、開祖は「空の気」といわれているはずである。この魄の気は自己の気であり、自己で練ることができる気のようである。

開祖がウナギ掴みで相手をおさえた気や、自分である衣服の気、それに気力も魄の気、空の気である。

二つの気があるとなると、今度はこの二つの気をどのように関係づけ、つかっていかなければならないか、ということになる。だが、これも開祖が教えてくださっているようである。これは、回を変えて書くことにする。