【第485回】  生結、足結、玉留結

合気道は、底の知れないブラックホールのように思えることもある。深くどんどん入っていっても、修業の目標である底が見えないだけでなく、入ったら最後、そこから逃げ出すことができなくなるからである。修業を積めば積むほど、自分の未熟さを悟るし、やるべきことはどんどん増えてくる。

例えば、開祖は「一霊四魂三元八力や呼吸、合気の理解なくして合気道を稽古しても合気道の本当の力は出てこないだろう」といわれている。それまでは、相対での稽古相手をうまく投げることができればよいと思って稽古してきたが、それは本当の合気の力ではない、といわれているわけである。

やはり本当の合気道の力をつけたいものであり、そのためにも一霊四魂三元八力や呼吸、合気を理解したいものだと思っている。今回は、この中の一霊四魂三元八力、それも、三元を研究してみたいと思う。

一霊四魂三元八力とは、大神の営みの姿であるといわれる。一霊とは大神様(直日)で、四魂の奇魂、幸魂、和魂、荒魂を統理する。そして、「この三元八力の引力によって、大地を全部固めしめて、一つの大きな全大宇宙という活動機関が出来上がった。」(武産合気)ということである。

人もまた、一霊四魂三元八力を与えられているという。「体については三元八力という働きがある。」

三元とは何かは、いろいろと定義されている。例えば、気・流・柔・剛、△○□、正勝・吾勝・勝速日、生産霊・足産霊・玉留霊、イクムスビ・タルムスビ・タマツメムスビなどである。

しかし、今回は真の合気道の力を出すことが重要なので、そのための三元を気流柔剛とし、その働きを生結(イクムスビ)、足結(タルムスビ)、玉留結(タマツメムスビ)とすることにする。

この三元の気流柔剛を、開祖は「気を起して流体素、あらゆる動物の本性である。柔とは、柔体素で、植物の本性又肉体のように柔らかいものである。剛とは、剛体素。大地や岩石のような固いもの、鉱物の本性である。これらの上にあって、気によって活動している」

三元によって、流体、柔体、剛体をつくり、自由に体を流体、柔体、剛体につかえるよう、そして、引力、八力が養成されるようにしていかなければならない。

開祖の晩年の技は、相手に触ることなく相手が倒れてしまうという神業だった。我々稽古人は、稽古の後の自主稽古の時間に、先輩たちと前の時間の師範の技づかいの動きをよく真似して楽しんでいた。なかなか上手な人もいて、うまい人には拍手喝采したものだ。

ところが、ある日、先輩が大先生の神業の真似をしていたところ、突然、道場に姿を見せた大先生に見つかってしまい、「そんな触れたか触れないで飛ぶような稽古をするな!」と全員が大目玉をもらってしまった。触れたか触れないで倒すのは、お前たちにはまだまだ早すぎるから、まずはしっかりした剛の稽古をして、体をつくりなさい、ということであった。それからは、それまで以上に力を入れて稽古をしたものだ。

三元の稽古は、気、流、柔、剛の稽古となるが、開祖のお言葉ではないが、まずは、剛の稽古から始めなければならないだろう。相手にしっかりと持ってもらったり、打ってもらうのである。とりわけ諸手取呼吸法などは、最適な稽古法であろう。

しっかりと相手に持たせる剛の稽古で難しいのは、相手の力によって思うように動けなくなるときである。そして、その力に対抗しようとすると、せっかく相手がつかんでいる手や打ってくる手を離してしまったり、弾いてしまうことになることである。

三元の働きにより、八力、つまり、相手とくっつく引力が養成されなければならない。合気道は引力の養成である、といわれているのである。

従って、どんなに相手がしっかりと持っても、その力に屈しないだけでなく、相手との結びを切らないで、相手の力、相手を制しなければならない。この剛の結びが、「玉留結」(タマツメムスビ)であろう。

通常は、柔の稽古であり、それは「足結」(タルムスビ)である。そして、開祖が晩年に示された、気・流の技づかいは、相手の体に触れないで、心や空気の媒体で結ぶ「生結」(イクムスビ)、ということになるだろう。

この「生結」(イクムスビ)で技をつかうのは、容易ではない。剛の技をつかうための「玉留結」(タマツメムスビ)ができなければ、決してつかえないし、むろん柔の「足結」(タルムスビ)がつかえなくてもできない。

先ずは、柔と剛の稽古をしっかりやって、「足結」(タルムスビ)「玉留結」(タマツメムスビ)ができるようにしなければならない。

しかし、実は宇宙の法則に則った技づかいをすれば、気、流、柔、剛も「生結」(イクムスビ)「足結」(タルムスビ)「玉留結」(タマツメムスビ)も、まったく同じ動き、体づかいのはずである。

また、剛でやるのか、柔や気・流でやるのか、どの程度の、剛さ、柔らかさ、速さでやるのかは、「結びて力を生じ、愛を生み、気を生み、精神科学が実在をあらわす」といわれる四魂の動きに従うわけである。

「この三元八力が固体の世界を造り、人類社会もそれによって完成されてゆくのである」といわれるように、三元で体ができていき、そして、完成していくことになるのだろう。