【第479回】  呼吸力と八力

合気道の主な稽古は、宇宙の営みを形にした技を身につけることと、呼吸力の養成である、と考える。宇宙の法則に則った技を通して、宇宙との一体化をめざすが、また、合気道は武道である故に、呼吸力をつけていかなければならないはずである。

開祖は、合気道は引力の養成である、ともいわれていた。引力とは、呼吸力から出てくるものであり、呼吸力の表裏であると考える。つまり、引力をつけるためには、呼吸力をつけなければならないことになる。

合気道では、引力の養成のため、そして呼吸力養成のために、呼吸法という呼吸力鍛錬法がある。これは、どこの道場でも、誰もが稽古している。

呼吸法の重要性をはっきり意識して稽古している人は少ないようだが、誰もが、無意識ではその重要性を知って稽古していることだろう。ここで、呼吸法の重要性と意味をもう一度見直してみる必要がある。

本部道場で教えておられた有川定輝先生は、呼吸法ができる程度にしか技はつかえないとよくいわれていた。まさにその通りである。つまり、呼吸法で呼吸力がついていけば、それだけ技が上手につかえるようになるということである。

今回のテーマは呼吸力であるが、これまでも呼吸力は求心力と遠心力を兼ね備え、表裏一体となった力である、といってきた。出るのと入るのと、対照の働きがある力なので、そこに引力が出るのである。つまり、対照の力が働けば引力が生じる、ということになるわけである。

対照の力は、遠心力と求心力だけではない。合気道にはこの対照力の教えがある。それは八力である。一霊四魂三元八力の八力である。開祖はこの八力を、動、静、解、疑、強、弱、合、分であるといわれたいう。動と静、解と疑、強と弱、合と分がおのおの対照となっているのである。外に向かう力と内に向かう力で、対照的な働きとなる。私はこれを求心力と遠心力といっているわけである。

対照力が働くと引力が出るし、双方の対照が遠くにあればあるほど、引力は強くなる。例えば、自然でいえば、嵐や台風と小春日和という対照であり、動と静である。激しく、大きく、活発に、元気に、等々と動けると同時に、そこにあるのも知覚されないような静でも動ければ、それが一体となって、そこに引力が働くことになるわけである。

動と静だけではなく、解と疑、強と弱、合と分でも、各々の対照の幅を広げるようにすることが、引力の養成ということになるだろう。例えば、より強く、そして、より弱くすることである。

技の錬磨の稽古では、自分の得意な動きや、やりやすい動きなど、単調で一面的な稽古ではなく、自分が不得意だったり、やり難かったりするものに挑戦し、対照を伸ばして、対照の幅を広げていかなければならない。

そして、動の中に静、静の中に動が同居するようにならなければならない。どんなに静かに技をつかっても、相対の相手がその静の中に動を感じるのであり、これが引力である、と考える。同じように、強の中の弱、弱の中の強、等々が同居するのである。

八力は、対照力のすべてが働いて、しかもバランスが取れている力といえよう。この力の八つの要素を身につけ、それらの対照力のバランスを取り、そしてそれらの力を増大していくのが、引力の養成であり、呼吸力の養成ということになるだろう。

この八力が増大すれば、呼吸力が増大し、引力が増すと考えるわけである。