【第473回】  力を抜いて気を入れる

本部道場で教えておられた有川定輝先生には、当時それほど意識してなかったのだが、いかに多くのことを教わったかということを、最近ようやく意識し始めた。どうして分かってきたかというと、一つには稽古している時に、先生はここをこうされていたとか、このようにいわれていた、等と思い出し、そのようにやればうまくいくことがわかってきたからである。

また、もう一つには、以前にも書いたことだが、1999年2月から有川先生の稽古時間でされたこと、話されたこと等をメモしていたが、今見ると、われわれ稽古人たちに大事なことをたくさん教えようとされていたことが分かるようになったのである。

今回は、1999年2月24日の本部道場での稽古で、先生が我々に教えて下さったこと、要は注意されたこと、を考えてみたいと思う。

それは、「力を抜いて気を入れる」ということである。それを聞いた当時は、「力まないで、気力でやれ」くらいにしか考えていなかった。だが、今になると、これにはもっと深い意味、合気道の本質の意味があると思うのである。

「力を抜いて気を入れる」には、二つの段階、二つの次元があるように思う。
一つは、当時の解釈に近い、力まず、腕力や体力に頼らずに、代わりに気力でやりなさい、ということである。力に代えて、心、意思、精神でやるということである。これは誰でも容易にやることができるだろうし、やってきたはずであるから、説明はいらないだろう。

次の段階、次元になる二つ目は、実際に力を抜いて、「気」を体に入れて技をつかうことである。ちなみに有川先生は「気とは宇宙生命力」である、と定義されている。だから、宇宙生命力で技をつかうようにせよ、ということになるだろう。

最近は、ちょうど力を抜く稽古、気を取り入れる稽古をしている。それで、先生の「力を抜いて気を入れる」という言葉が蘇ってきたのである。

「力を抜く」というのは、容易なことではないかもしれない。一般社会における、脱力するとか、無力になるのではないからである。武道であるから、「力を抜いて」やっても、力が籠っているとか、力んでいるよりも、大きい力にならなければならない。

以前から書いているように、「力を抜いて」大きい力を出すためには、呼吸、息づかいが大事である。そのためには、胸式呼吸で息を入れると、力みが取れて、腰から大きな求心力が出るものである。

さらに、息は心と体を結ぶ役割をするので、心で体が自由に動くように、息で調整するのである。

ここまでで、「息を入れて力を抜く」ということになるので、「力を抜いて気を入れる」の前半の「力を抜く」まではできたことになる。

次は、「気を入れる」である。開祖は「人間は心と肉体と、それを結ぶ気の三つが完全に一致して、しかも宇宙万有の活動と調和しなければならない」、「合気道は、心と肉体とを一つに結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬」等といわれている。

つまり、心と体を結ぶのは「気」である、といわれているのである。先ほどは、自分の体験から、心と体を結ぶのは息である、と書いたわけであるが、「息」と「気」には緊密な関係があるはずである。

その関係を、開祖は「弓を気いっぱいに引っ張ると同じに真空の気をいっぱいに五体に吸い込み、清らかにならなければなりません」といわれている。つまり、息を体いっぱいに入れると、気も体に入って来るということになるわけである。

さらに、開祖は「清らかなれば、真空の気がいちはやく五体の細胞より入って五臓六腑に喰い入り、光と愛と想になって、技と力を生み、光る合気は己の力や技の生み出しではなく、宇宙の結びの生み出しであります」といわれている。つまり、体に入った気が技と力を生み出す、ということになるわけである。

これが、有川先生のいわれた「力を抜いて気を入れる」の意味である、と今になって思うのである。だが、当時の先生は、我々の稽古を見ていて、そこまでは期待してはおられなかっただろう。どうせ駄目だろうが「やってみなさい」という言葉と先生の顔が、今でも思い浮かぶ。