【第465回】  空を行ずるために

前回、第464回では、合気道の稽古・修業の根幹は空を行ずることである、と書いた。今回は、それに続いて、なぜ空を行ずるのか、どうすれば空を行ずることができるようになるのか、空を行ずるとどうなるのか、などを書いてみたいと思う。

前回紹介した白光会開祖の五井さんは「空を行ずると云う言葉を云いかえれば、自我の理念を無くすると云う事であります」といわれている。理念とは、辞書によれば、ある物事についてこうあるべきだという根本の考え、ということであるが、つまり、自分でつくり上げて決めつけた考え(理)や欲(念)、つまり、エゴ(自我)を無くす、ということであろう。

このエゴを空にしていくのが、合気道の根幹ということになる。空を行ずることは無を行ずることであり、別に合気道だけの専売特許ではないだろう。禅の根幹も同じである。

禅の世界で高名な方(多分、鈴木大拙)が、開祖の合気道を見て、「合気道は動く禅」であるといわれたと聞いているが、開祖の演武やお話の中に、空を行じ、無を行ずる姿を認められたのだと思う。もし、開祖が従来の武術的な演武や話をしていれば、このような方々には、認められなかったはずである。

空を行ずるとは欲やエゴがなくなるということだろう。英語ではNothingというようだ。素潜りで世界初の100m以上のグランブルーに到達したマイヨールは、深く潜るためにはNothingにならなければならないと言われている。つまり、より深く潜るためにはNothingの行、空を行じなければならないということである、

Nothingでエゴを空にしていくと、現実の世界とは違う世界に入っていく。開祖はそれを楽しまれていたと、『武産合気』や『合気神髄』などには書かれている。そして、超人的な技を示されたわけである。

グランブルーに到達したダイバーたちも、「海と自分の境目がなくなり、海が自分に、自分が海に浸透していく」「海が自分の可能性を引き出してくれる」と語っている。ある女性ダイバーは、深く潜るためには、体を鍛えるよりも海との調和が大事である、といっているのである。(「グランブルーダイビング」 NHK BSプレミアム) これは合気道でも当てはまるだろう。

彼らがなぜ少しでも深く潜ろうとするのか。それはまず、人はどこまで深く入っていけるのか、という可能性の追求と、そこに何が待っているかという好奇心からであろう。これも合気道の世界と同じである。

合気道の根幹である空を行ずる稽古、Nothingの稽古をしていけば、エゴが無くなるにつれて、人本来が所有している生命力が目覚め、そして体がいろいろと教えてくれたり、心が語りかけてくれるようになるはずである。すると、心と体が、現実の魄の世界からどんどん内面へと向かい、恐怖やおごりや欲がなくなり、宇宙の声が聴こえるようになるのではないか、と思う。

Nothingになれば、宇宙の意思、宇宙の営み、宇宙の条理、言霊などが分かるようになり、宇宙とつながってくるはずである。従って、空を行ずることで、宇宙とつながるのではないか、と考えている。