【第459回】 合気は武の大道

合気道は、武道である。武とは鉾(ほこ)を止めるということであり、敵の攻撃を制する技を身につけるものと解釈されているが、合気道の「武」は、このような一般的な武の意味とは全く異なっている。

合気道の「武」は、敵味方がやったやられたなどという規模のものではなく、いうならば宇宙規模のものである。しかも、その宇宙の万有万物に「武」がなければ亡びてしまう、といわれるほど、宇宙とそこにある我々人間を含む万有万物にとって不可欠なものであるのである。

開祖のいわれる「武」は、一言でいえば、宇宙を創造し、宇宙楽園建設を目指している大神様の仕事がうまくいくように、万有万物は各自の使命を果たして生成化育し、そして新陳代謝を繰り返しているのだが、時として、その生成化育や新陳代謝を妨げられることになる。そのような妨げを取り除き、本来の機能を守るのが「武」なのである。

つまり、「武」は、新陳代謝の生命の機能を有している禊ぎなのである。武の行いによって、全ては禊がれる。武がなければ、国も亡びるし、人も健康ではいられないのである。

この世界のすべての動きは、一元の大神様の情動である「武」であるという。自分の体の新陳代謝、四季の変革、気象の変革、暴風雨天変地異など、すべて「武」ということになる。

さらに開祖は、気には気の武がある、生命を維持するため、生命の機能を動かしている気に汚れが出てくれば、それを祓い浄めるのが「武」である、といわれている。

液体の世界にも武があって、障害があれば、これを取り除く。これは新陳代謝の機能であり、人体でいえば血液の血行障害、汚濁を取り除くことが武の働きとなる。

肉体の柔体の世界にも武があって、カスが溜まらないよう、固まらないように禊ぐのが武、ということになるだろう。

固体にも固体の武がある。宇宙の穢れを浄めながら、剛体素をつくり大地ができてきたように、一元の大神の「ス」の凝結したものにするために祓い浄めるのが、個体の武であろう。

このように、「武」は一元の神の情動の姿であって、宇宙の営みの実態である、と開祖はいわれるのである。「武」は宇宙、つまり、あらゆる空間と過去から未来への永遠の時間、そして、万有万物に働いているわけである。

そして、開祖は「武とはすべての生成化育を守る愛である」といわれている。合気道はすべての生成化育を妨げになるものを取り除き、守り育てるために修業をする武道なのである。

合気は武の大道なのである。


参考引用文献   『武産合気』