【第451回】 気の妙用

合気道は心と肉体とを一つに結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬である、ともいわれている。そして、合気は気を十分に知らねばならない、といわれているわけだが、「気」を十分には知らないし、知りようもない、というのが現状だろう。

合気道の「気」がわからないという理由はいろいろあるだろうが、一つには「気」は目でみることができないし、示すことができないことだろう。二つ目は、「気」は一つだけでなく、いろいろな次元、性格のものがあるからであろうと考える。

例えば、

  1. 宇宙の気、於能碁呂島の気、森羅万象の気(全大宇宙の気、大地の気、アウンの気)
  2. 空の気と真空の気
  3. 松、竹、梅の三つの気
などとあることが、「気」を捉えにくくしているだろう。

しかし、「気」を完全には把握できないとしても、自分なりに「気」を知らなければ、先へ進むことはできないだろう。開祖の聖典である『合気神髄』『武産合気』からの教えと、己の稽古から得たものから、一度、この辺で「気」とは何かを中間的にまとめてみることにする。

これは、先へ進むためである。というのも、息に合わせて体をつかい、心で相手を導いて技をつかっていくところから、次の次元の稽古に入らなければならないのであるが、そのためには「気」を知り、気の妙用が不可欠である、と考えるからである。

例えば、「武の気はことごとく渦巻きの中に入ったら無限の力が湧いてくる」「気は力の本であるから、最初は充分に気を練っていただきたい」等と、開祖はいわれている。「気」によって無限の力が出るようになるはずだし、そのためにも十分に気を練らなければならないことになる。

そこで、「気」とは何かを前述の開祖の聖典から、自分なりにまとめてみよう。
「気」とは、 これまでは、「気」を気力と思って稽古していたように思える。手先などに息をこめて力を出そうとしていたのである。だが、これでは力みになって、力が止まり、こもってしまうので、大きい力は出ず、真の力ではないと思っていた。

開祖は「ものの霊を魄といいますが、これは気力といいます。」といわれ、気力は魄の力であり、合気道は魂の力でなければならない、といわれている。であるから、「気」による魂の力を会得しなければならない。

「気」はまだはっきりしないが、開祖は気のつかい方についても教えられているので、それをまとめてみることにしよう。

気の妙用、気のつかい方を、開祖は以下のように説明されている。 この「気」と「気の妙用」を、稽古から学び、体が教えてくれたことに合わせると、「気」とは次のようになるのではないかと考える。 技の錬磨をする際の「気の妙用」とは、まず、気を感じることだろう。気を感じるためには、宇宙の法則に則って宇宙と調和する肉体をつくり、そして、宇宙と調和する心を呼吸で結んで、技をつかっていくことだろう。そのような稽古をしていけば、稽古相手からの空の気、宇宙からの響き、そして真空の気を得ることができるのではないだろうか。そして、摩訶不思議な技が自由自在に出るようになるのではないか、と考える。

まだまだ「気」は分からないが、先を楽しみに挑戦するしかないだろう。