【第448回】 もうひとつの十字道
合気道は宇宙の営みを形にした技を錬磨していくが、開祖は「天火水地の十字の交流によって生みだされる言霊の響きによって、宇宙万物が生成されたのであり、それに習うことが合気の道なのである」といわれている。
合気道は十字道ともいわれるように、技も円の動きの巡り合わせでできている。その円は縦と横の十字からなる円である。そのための体のつかい方や動きも十字になっているし、また、呼吸も縦と横の十字でつかわなければならない。
合気道が十字であるということは、以前から何回も書いてきたが、合気道には別の観点から見た十字もあるようなので、今回はそれを研究してみたいと思う。
十字というのは、縦と横の重なり合いであり、その縦と横の重なり部分が直角ということである。縦から横、そして横から縦に移る際に、90度ほど転換、変換するということである。それは、質が変わり、次元が変わることでもある。
この観点から合気道を見てみると、合気道が十字道であるという意味がさらに深まるだろう。
以前から書いているように、合気道の不思議さ面白さの一つは、異質のものが表裏一体になっているパラドックスであることで、それでこそ十字といえるのである、と考える。
思いつくままに、合気道の十字ということについて書いてみよう。
- 合気道でも、まずは体をつくらなければならない。体力、魄の養成である。これは十字でいえば、縦である。
しかし、魄の養成には限界がでてくるので、魂の養成に切り替わっていかなければならなくなる。これは、十字の横である。縦から横への変換である。
これまで表にしていた魄を土台にして、魂を表に出すのである。
そして、この異質の縦と横が十字になり、大きな力が出るようになっていくのである。対照的な魄と魂が、表裏一体ということになる。
- 呼吸には、縦の腹式呼吸と横の胸式呼吸があるが、初めは誰でも腹に力を込めるような縦の腹式呼吸をするものだ。しかし、腹式呼吸だけでは、技はうまく効かないものである。まずは、横の胸式呼吸を身につけなければならない。それまでやっていたことと違うことをするのは勇気がいることだが、異質の横の呼吸に挑戦しなければならない。
横の呼吸ができるようになれば、呼吸も縦と横の十字の呼吸ができるようになり、さらなる天地の呼吸との交流ができるようになるはずである。
- 合気道は相対で技をかけあって稽古するので、はじめの内はなんとか相手を倒したり、抑えようとするものだ。これが、いわゆる相手を意識した相対的稽古ということになる。これも大事な稽古であり、この相対的稽古を縦の稽古とする。
しかし、稽古を続けていくと、相手ではなく、己との戦いの稽古に変わってくる。これは絶対的な稽古であり、縦の稽古に対して横の稽古ということができよう。
稽古には、この相対的な縦の稽古と、絶対的な横の稽古の、十字の稽古が必要である。これが縦の稽古とか横の稽古だけであれば、精進は難しいだろう。
- パラドックスではあるが、「ぶつかってぶつからない」というのがある。
合気道は武道であるので、上達するためにはやるべきことと、やるべき順序がある。
まず、ぶつかる稽古をしなければならない。これを縦の稽古とする。これができるようになったら、今度はぶつからない稽古をするのである。これは横の稽古である。この縦と横の十字の稽古で、ぶつかってぶつからない稽古ができるのである。
- 前項と類似した、「相手はいるが相手はいない」も同じである。初めは相手とぶつかり、相手を意識する縦の稽古、そして相手がいても相手を意識しなくなるような横の稽古と、十字にならなければならない。
まだまだ、合気道には十字があるが、今回はここまでとする。後は、十字道になるように精進していくだけである。
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