【第440回】 合気は変わっていくのが本義

合気道を始めた頃、道場では大先生(開祖を当時はこうお呼びしていた)からよくお話をいろいろと伺ったものだ。だが、お話のほとんどは理解することができなかった。たとえ理解できるようなお話であっても、我々の通常の考えや判断基準とは大きく違っているのである。というより、まるで正反対のことも多くて、頭が混乱するだけのことも多かった。

入門してよく理解できた大先生のお話は、「合気道は真善美の探究である」「合気道は気育、知育、徳育、常識の涵養」であった。後に、これに体育が加わるが、ちょうど「人生とは何か」という問いに対する答えを一生懸命に求めていた時期だったので、この言葉を聴いて、これが生きるということだろう、という確信が持てたのである。

さらにまた、合気道とは人生の凝縮版ということである、などとも考えた。つまり、合気道をしっかり修業することは、自分の人生を全うすることである、と思ったのである。

大先生のお話の中で、言葉は理解できても、意味するところが解らなかったものの一つに、「合気道の技は、年ごと、日々変わっていくものであり、変わらなければならない」という言葉があった。

その言葉は、『合気真髄』で見ることができる。

武道などの習い事は、先人の残した技や形をできるだけ正確に再現、真似、継承する、つまり、古(いにしえ)を稽(みる)、ということである。だが、合気道及び合気道の技はそうではなくて、日々、年ごとに変わっていかなければならない、というのである。

当時の旧道場では、我々が稽古している時に、大先生がよく道場に突然入られて、技を示されたり、お話を始められた。その時には、今日の自分は昨日とは違う、とよくいっておられた。しかし、我々にはどこがどのように変わったのか、全然わからなかったものである。

あれから50年もたって、大先生がいわれた「合気は変わっていくのが本義」ということが、やっと少しわかりかけてきた。なるほどと思うと同時に、確かに変わっていかなければならない、と思うようになった。

合気道は技の錬磨で精進していくが、その錬磨する技は、宇宙の営みを形にしたものであり、また、宇宙の法則に則ったものである。合気道の修業は、技の錬磨を通して、この宇宙の法則を見つけ、身につけて、技に取り入れていくことである、と考える。 

宇宙の法則は無限にあるはずである。それをひとつずつ身につけていくとしたら、己の技は変わっていき、少しずつ宇宙に近づくことになるはずだ。これが合気は変わっていくということであり、変わらなければならないということではないだろうか。

さらに、宇宙そのものも変わっている。宇宙は超高速で膨張を続けているのである。宇宙が変わっていっているわけだから、宇宙の営みも、その法則も、変わっていることになる。つまり、変わることが宇宙の意思であり、自然である、ということになるはずだ。

変わるということを人で考えてみると、人も原則的にみんな変わろうとしているといえるだろう。少しでもよくなろうと勉強したり、仕事をする。よりすばらしい絵を描こう、よい歌をつくろうと努力する。少しでも人類に役立とうとがんばる。よりよいものは、人に評価される、等々。

人が落ち込んだり、自分に満足できなかったり、退屈だと悩んだり、生きる意欲を失う最大の原因は、自分が変化していってないことにあるのではないだろうか。変化の大事さに気がつかなかったり、変化する可能性が見えなかったりして、変化できないでいると、無意識のうちに生きる張り合いを失い、場合によっては、自暴自棄になって、世間をお騒がせすることになるかもしれない。

まずは、合気道で、技が年ごとにどんどん変わるように、稽古していきたいものである。そして、それを基に、日常生活でも日々、古い衣を脱ぎ捨てて、自分が変わっていくようにしなければならないだろう。