【第431回】 合気する

合気道は相対で、取りと受けが交互に技を練磨しながら精進するものだが、かけた技はなかなか思うようにはかからないものである。そのため、技がうまくかかるように、試行錯誤しながら稽古を続けていくわけだが、そこで少しずついろいろなことが分かってくる。

初めは、力、スピード、体力などの魄の力に頼って技をかけ、相手を倒して満足するだろうが、次第に魄の力には限界があるのが分かってくるだろう。

そこで、この魄の力を土台にし、それを表に出さず控えさせ、心(魂)で技をかけるようになる。心で自分の体と、相手の心と体を導くのである。

この心は、相手を倒そうとかやっつけようという心ではなく、開祖がいわれる「愛」の心でなければならない。つまり、相手を思いやり、共に宇宙建設のための生成化育のためにやっているのだから、お互いにがんばろう、という心である。

この心で技をかけると、それまで魄力でやっていたのとは違って、相手が気持ちよくこちらの動きについてきて、そして、自ら倒れてくれるようになるのである。それではなぜ、受けの相手はそれまでのように逆らわずに倒れてくれるのか、開祖の教えを基にしながら、ちょっと科学してみようと思う。

開祖は、「合気は気の交流を最も尊重する」ものであり、「合気はこのナギナミ二尊の島生み神生みに基礎根源をおいているのであり、これを始めとしているのである」といわれている。また、「自分(開祖)は島生み神生みの神の法則によって、技を生み出しているのである」ともいわれている。

要は、合気の技とは、精神的エネルギー(ナギ)と物質的エネルギー(ナミ)の交流、つまり十字の交流によって出てくることにある。一霊四魂三元八力である。

開祖は、合気は大いなる生成化育の道であり、世(万有万物)を守り育て、世界の一つの流れとする道であり、従って、一霊四魂三元八力の、宇宙の大活動の道を進まなければならない、といわれるのである。

つまり、この宇宙の大道を行くことが合気になり、技が生み出されてくることになる、ということである。一霊から四魂。一元からその徳である奇霊が現れ、荒霊で最初の働きをし、和霊で和合し、結び、そして幸霊でものを現わす、ということになる。

つまり、相手に技をかける場合は、この一霊と結びついた四魂による精神科学によって、技を現わさなければならないわけである。

しかし、技をかける本人がそうやって技を現わそうとしても、受けの相手がそれに同調しなければ、相手は気持ちよく倒れてはくれない。技をかける者が、いわゆる宇宙の大道に則って技をかけると、受けの相手は不思議と共鳴、呼応するようになるのであろう。

「合気とは言霊の妙用であり、言霊の妙用は一霊四魂三元八力の分霊分身である」といわれるが、言霊とは響きであるから、取りの自分と受けの相手が共鳴、共振することは可能であるはずだ。

共振とは、エネルギーを有する系が外部から与えられた刺激により、固有の振動数で大きな振動を起こす現象で、共鳴も同じ原理に基づく現象であるという。例えば、受けの相手がこちらの手をつかんできた場合、こちらの気(精神と物質・肉体のエネルギー)を相手に流すと、それが宇宙大道の一霊四魂の言霊に反していなければ、相手がそれに共振するのではないか、と考える。そして、相手と共振し、相手が共鳴し呼応することを、「合気する」という、と考える。

合気になるから、相手はこちらの思う通りに動いてくれるし、自ら気持ちよく倒れてくれるのである。