【第426回】 魂の円

合気道は「魂の学び。魂魄阿吽の呼吸」である、といわれている。また、「合気は魄を排するのではなく土台として、魂の世界にふりかえるのである。魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。魄が下になり、魂が上、表になる」ともいわれている。

合気道の究極的な学びは魂の学びであるが、まずは、体力や気力という魄の学びが必要である。魂の学びは、その学んだ魄を土台にして、魂魄阿吽の呼吸でやり、魄が下になり魂が上になるようにしていかなければならない、ということである。はじめから魄の土台がないのでは、魂の学びはできない、ということもなる。

体力、腕力で技をかけると、受けの相手にも相当な力がある場合には、ぶつかり合い、相手が倒れないことも多くなってくる。それまでは、そのようなことがなく、相手が素直に倒れていたのが、倒れずにがんばってくるのである。相手ががんばると、こちらはますます力んでしまい、相手はさらにがんばる、ということになる。これは稽古の宿命であるが、力がついてきた証しともいえることである。

そこで、それまでの力に頼った稽古を変えなければならない、と分かるようになる。これは大きい壁であるが、この壁を打ち破らなければならないのである。

まず力が先行する稽古を変え、心を先行させる稽古にする。つまり、それまでは体に頼って技をかけていたのを、心で技をかけるのである。心が先行し、それに息と体が従うのである。息で心と体を結びつけ、心の通りに体を動かすのである。

心で技をかけると、体の力でかけるより、相手が納得して倒れてくれるようになる。これは、力(魄)でやるものとは質が違う稽古法である。

これまでは自分の体で相手の体に働きかけたのが、心で相手の心に働きかけるのである。そうすると、相手の心が自分の体に、動くように、倒れるように等と指示するようになる。

しかしながら、心で技をかけていくというこの心の学びも、完全ではないのが分かってくる。なぜならば、こちらに心があれば、受けの相手にも心がある。心は人によって違うし、相手により、時により、場合により変わる。つまり、心変りがあるのである。

心は一定ではないし、絶対的な基盤もないのだから、人の心との絶対的な合致もない。つまり、相手の心が常にこちらの心に同意してくれることはないのである。心で相手と合致することは、ある程度はできるが、絶対にできるということはない。

だが、「合気道は魂の学び。魂魄阿吽の呼吸」である。技を練磨して精進していく合気道で、今度は魂で技を遣うのである。だが、魂で技をかけるなど、そう簡単なことではないだろう。

ありがたいことに、開祖は魂の働きと遣い方を「円の本義」(『合気真髄』)で説明されている。これを、自分の稽古法に照らし合わせながら、検証してみよう。

合気道は円の動きの巡り合わせであり、五体の各部位の円の巡り合わせ、自分と相手の円の巡り合わせなどで技が生まれる。だが、これらの円のほかに「魂の円」がある、と開祖はいわれている。

開祖は「魂」について、皆空の中心より宇宙に気結び、生結びするのが魂であり、一切を生み出すものである、といわれている。魂は己にもあるし、人(相手)にもあるから、これを気結び、生結びするのである。

魂は心とは違って、心変りはしないし、時間や空間に関係ない普遍的、絶対的なもの、至善、至美、至愛であり、人が逆らったり異を唱えることなどできない、超越したものであるはずである。

これを技の稽古でやると、例えば、受けの相手に手を取らせる際に、相手の中心を宇宙の中心と思い、その中心と息を吐きながら結ぶ。そして、息を入れながら、相手と結んでいる手の結びを切らないようにし、手に込めた力を抜いて、その手を地球の引力に任せて下ろすと、手とその手と結んでいる腰腹などの体が地と宇宙と結び、何か大きい力が湧いてくる。それが魂であろう、と考える。こうなると、手を取っている相手の力みが取れて、相手と一体化する。

この魂は円く働くが、これを開祖は「魂の円」といわれているようである。この魂が円に働くためには、心と体を合わせた阿吽の呼吸でつかわなければならない。体を十字に、陰陽で円くつかうことはもちろんのこと、相手を倒そうとか、極めようなどと思わずに、愛のこころ、円い心で技をつかわなければならない。

魂の円で技をつかうと、ふしぎな事に相手の力みが取れ、体も心もこちらに一体化して、自分の一部となってしまう。だから、もはやそれ以上に相手を投げたり抑えたりする必要はなくなるのである。

これを開祖は、魂の円を体得すれば、相対の因縁動作を円に抱擁し、掌(たなごころ)に握るごとく、すべてを吸収し、すべてをとかす、といわれているのであろう。

受けの相手の重力と反抗心がなくなり、相手をくっつけてしまって一体化できれば、魂の円を体得したことになったといえるだろう。だが、もちろん魂の円の学びにも終わりはない。