【第423回】 赤玉、白玉、青玉

合気道は、気形の稽古を通して技の練磨をし、妙技を生み出していく武道である。これを、開祖は「合気道は自己を知り、宇宙万有の妙精を自己に吸収し、大宇宙の真象に学び、理を溶解し、法を知り、光りある自己の妙技をつくる道である」といわれている。

ここには、妙技を生み出すためには、自己を知り、宇宙万有の妙精を自己に吸収し、大宇宙の真象に学び、理を溶解し、法を知る、とあるから、妙技を生み出すのは難しいだろうがこれをやっていけばよいわけである。だが、その前に、妙技とは何か、どんなものなのか、を研究しなければならないだろう。

私の妙技観は、今のところ、

等などである。

それでは、この妙技観の妙技は、どうすれば生れてくるか、ということであるが、これまでも大半については書いてきたつもりである。だが、「受けの相手の体重が消えてしまう技」と「天と地の呼吸に則った技」は書いていないので、今回はこれを中心に書くことにする。

先述のように、合気道はやるべきことを順序よくやれば、妙技が生れるようにできていると確信する。開祖はそういわれていたし、自分も少なからずそれを体験しているからである。

いかなる技(形)でも、生むすびの息づかいで手と足を陰陽に遣うと、息を吸ったときに相手の体重が消え、そして、自分と完全にくっつき、一体化するのである。

さらに、天と地の呼吸に則って技を遣うと、相手の体重は消えるし、相手を自由に制することができるようになる。

天と地の呼吸であるが、天の呼吸とは、まず天と結んで、縦の呼吸で天の息を腹に収める呼吸であろう。そして、その息を出して(吐いて)、相手と結ぶ。それが、生むすびの「イ」の呼吸である。

次に、「ク」と息を吸うと、接しているところを支点として、相手の体が浮き上がってくる。相手の体重が消えてしまい、そして、相手は自分とくっついて一体化するのである。あとは、相手を投げ飛ばそうと、そのままにしておこうと、自由自在である。生かすも殺すも思いのまま、ということになる。この吸う息は胸式呼吸による横の息使いである。

後は、「ム」と息を吐くのだが、そのまま横の息で吐いてしまえば、息が詰まってしまい、自分の体がつっぱって、相手に抵抗されることになる。この息は縦の腹式呼吸で、体は落ちるように吐くが、息は天に帰るように吐かなければならないようである。開祖はこれを、まるく吐くといわれている。

この「イ」「ク」「ム」の息づかいは、「イ」の前の天の呼吸と、「イ」と吐く呼吸、「ク」と吸う呼吸である地の呼吸、そして、「ム」で息を天に返す天の呼吸である。

この中の「イ」と「ク」の地の呼吸が、白玉と赤玉、潮干の玉と潮満の玉である。従って、「イ」と吐く息は、潮が干るように吐いて、「ク」と潮が満ちるよう、あらゆるものを飲み込むように、吸わなければならないのである。また、この地の呼吸は潮の干満の動きのようにとぎれることなく、雄大に、小さく大きく、大きく小さく、速く遅く、と渦状に使われなければならない。

開祖は、「天の気は日々、地と結んで潮の干満、その玉をいだいて行うのが合気道である」(「武産合気」)といわれているのである。

この赤玉、白玉の潮の干満が分かりやすい稽古は、呼吸法(坐技、片手取り、諸手取り)、四方投げ(特に、半身半立ち四方投げ)、二教裏、諸手交差取り、小手返し、後ろ両手取り等であろう。

また、開祖は赤玉と白玉のほかに、青玉(真澄の玉)が必要である、といわれている。この青玉こそ「イ」の前に天とむすび、そして「ム」と吐く呼吸である澄み切った玉である、と考える。

潮の干満である地の呼吸は、この天の呼吸の真澄の玉との交流がなければならないし、武技を生み出すのは、天地の呼吸によるのである。

妙技を生み出すためには、赤玉、白玉、青玉が必要なのである。