【第406回】 魂を魄の上にする

合気道の技の練磨においては、魂が魄の上になるようにらなければならないと教わっている。しかし、これがなかなか難しい。魂とか魄までいかなくても、もう少し前の段階での心と体、精神とモノにしても、容易ではない。

現在は、物質文明、物質科学が精神科学の表になっている、金力や権力の社会である。だから、争いが絶えないのだ、と開祖はいわれている。もうそろそろ、何とかしなければならないだろう。

この力の世界を心の世界に変えるのが、合気道の使命である、といわれている。だが、世界を変えるどころか、稽古においても、力の稽古からなかなか抜け出せないものである。

もちろん、はじめは力をつけなければならない。力一杯に技をかけ合い、受けを取り合って、体をつくり、力をつけていかなければならない。しかし、それだけをいつまでもやっていると、力の強いものが勝つ世界に止まる事になる。そうなれば、それよりも優れている心(魂)の鍛錬はできないし、自分の力(魄)に勝ち、相手を導けるような心は会得できないことになる。

稽古で、心が力の上になり、相手の魄力も心で導くことができないのでは、物質科学の社会を精神科学の社会に変えるなどできないだろう。しかし、これは合気道の使命であり、開祖の思いであるのだから、できるできないを考えこむよりは、やっていかなければならないと考える。

合気道の道場は、本来、物質科学に満ちた世俗とは違った別世界である。稽古に通う稽古人には、裕福な人もいるし、経済的に恵まれない人もいる。社会的な地位のある人もいれば、そうでない人もいる。男性、女性、大人、子供、高齢者と、千差万別である。しかし、いったん道場に入れば、それは全然関係なく、ただの稽古人になる。

稽古の場では、世俗的なことには全く興味がなくなるはずである。興味のあるのは、その人そのものだけである。その人の技や、やさしさ、厳しさ、真面目さなどの心である。この別世界の道場は、心が力の上になる環境である。あとは、心が力の上になるように、技の鍛錬をするだけである。

しかし、心で相手の強力な力を導くのは容易ではないだろうし、できるかどうかも分らない。しかし、それができるまで待っていたのでは、社会に貢献することなど到底できないだろう。

それなら、稽古から離れて、逆に物質科学の社会を見るのがよいだろう。社会を見てみると、物質文明、物質科学の弊害やおかしさがわかるだろうし、これを何とか変えていかなければ、と思うはずだ。世の中の判断、価値基準を、モノ、金、地位や名誉ではなく、心、精神に置くべき時が来たし、そうすべきである、と思うようになるだろう。

店に並んでいるきれいな果物は、見栄えはよくても、それに見合った味はしない。見栄えに値段をつけて、目に見えない味をおろそかにしている。果物は本来、見栄えよりも味が大事なはずである。

人もまた、見栄えがよければよいとばかりに、着飾って高価な装飾品を身につけたり、あるいは名のある学校や企業などで学歴、職歴を飾ろうとする。

今はまだ、形や表面だけがよければ価値がある時代であり、形が整っていればよい社会である。しかし、そろそろ見栄えが悪くとも、精神、心が美しいことに、価値や喜びが持てるようにならなければならないだろう。

心が美しいかどうかの分かれ目は、他人を敵や競争者などと考えるか、万有万物は仲間であり、一家族であると考えるかどうかだと思う。何もなかったところに、ビッグバンが起こった128億年まで遡らなくても、数百万年まえに出現した人類は、その時代の両親の子孫であり、さらに、時は多少さかのぼるが、動物も植物さえもつながっている家族ということになるだろう。

他人や動物、植物をモノ的に見れば、それは物質科学である。これを心で観るのが、精神科学であると考える。心で観ると、愛が生まれる。愛しい、かわいいと観えるだろうし、がんばれよ、と応援するようになる。

冬の木々や枯れかかった草を、目ではなく、心で観れば、がんばっているエネルギーが観えて、春までがんばれと応援する気持ちになる。目で見えるのは、モノの外観だけである。モノの心は、心で観なければ観えないのである。能のお面なども然りである。

開祖は、お日様を観てもまぶしくない、といわれていたので、毎日観るようにしている。目で見ると、目を痛めるはずであるから、やはり心で観るのである。お日様の愛、すなわち、万物を分けへだてせずに下さるエネルギーや、地上天国完成のための生成化育のお仕事に対する感謝の心で観るのである。そうすれば、優しく光るお日様が観えるし、お日様の心も観えるように思える。

このように、俗世の世界で、心をモノの上にすることを身につけ、それを道場の稽古に適用していくのも、心を力の上、魂を魄の上にする技づかいにつながっていくと思える。技でそれができるようになってくれば、それを物質科学の世界に適用していけばよいだろう。稽古と社会の相乗効果である。「魂を魄の上にする」のは、稽古だけではなく、社会、それに自然からも、学ぶべきだろう。