【第401回】 顕幽神界三界

合気道は「顕幽神三界と和合して守り、行っていき、栄えさすものである」と、開祖はいわれている。これが、合気道の目標であり、合気道の役割である。だから、そのように修行していかなければならない。しかし、やりたくても、どのようにすればよいのか分らないのが、難しいところである。

しかし、難しくても挑戦しなければ、合気道の悟りを得る事はできないだろう。無理だと思っても、開祖のお言葉を信じ、挑戦していくしかない。少しずつ、一歩づつ、進むしかない。

先ずは、顕幽神界ということが分らなければ、和合もなにもできないわけだから、この顕幽神界を研究しなければならないだろう。辞書やインターネットなどを見ても、種々に解釈され、説明されている。だが、やはり合気道の開祖がどのように言われているかを、調べるべきだろう。

開祖は顕幽神界について、『合気真髄』『武産合気』で次のように説明されている:

このことから、合気道で云う顕幽神界は、自分の身の外にあるだけではなく、自分自身の内にもあるということになるだろう。ここからは、自分自身の体験や研究からの解釈なので、挑戦ということになる。

先ず、自分の外にある顕幽神界であるが、上記の水の世界の三界である。ここでの顕界は見える世界、触って感じる世界であるから、問題はないだろう。

次の幽界とは、モノの魄の世界であるから、水のやさしさ、清らかさ、激しさ、恐ろしさ等、目には見えない何かがある世界と考える。幽界は仏の世界とも云われるが、何か(エネルギー等)があるが、実態がない、見えない、という象徴の世界であると考える。

神界は、神の世界であり、魂の世界といわれている。これは、人の心や意志では自由にならない世界、という事になるだろう。水の世界の場合の神界は、例えば、万有万物をうるおす愛であったり、ノアの箱舟の話にあるような怒りなど、神の意志(魂)ということになると考える。

天にある太陽や月にも、三界があると感じる。先ず、丸く輝き、ギラギラ光る太陽は、顕界の太陽である。次に、モノの魄の世界である幽界の太陽は、強烈な光と熱の世界であろう。

そして、神の世界であるが、太陽を気持ちを落ち着かせて、息に合わせて観ると、ギラギラがなくなり、丸くやさしい太陽が見えてくる。ここから、万有万物に対して平等な生成化育の愛の光、愛を降り注いでいるように感じられる。これは、太陽自身の意志を超えた、宇宙の意志、神の意志による世界、ということになるだろう。

次に、自分自身の中に胎蔵している顕幽神界であるが、合気道の相対での技の練磨において、この三界での稽古を考えてみたい。

先ず、顕界の稽古とは、体力、腕力の稽古ということになるだろう。見かけ通りの力でやるものである。

次に、幽界の稽古であるが、気力や魄力での稽古となる。これは見えないが、魄の世界である。

そして、神界の稽古は、魂の稽古ということになるはずだ。魂は、神の意志である。自分の心や意志を超越した、何者かの意志(魂)でやるようになるのだろう。そうすれば、なにか超人的な力が出てくるのではないだろうか。

合気道の修行の目的は、顕幽神三界と和合して守り、行なっていかなければならない、ということである。まずは、自分の中の顕幽神三界に和合するように、稽古すべきであろう。それができなければ、自分の外にある天地などの顕幽神三界と和合するなど、とても手に負えるものではないだろう。

最初は、体をつくり、力をつけ、その体力、腕力で一生懸命に顕界の稽古を積む。次にそれを土台に魄力、気力での幽界の稽古をする。さらに、魄を超越した魂の稽古をする。

そして、体と魄と魂、つまり、顕界と幽界と神界のバランスがとれ、一体化するように、稽古していけばよいのではないかと考える。

開祖は『合気真髄』で「自分の心の立て直しができて、和合の精神ができたならば、みな顕幽神三界に和合、ことごとく八百万の神、こぞってきたって協力するはずになっております」といわれている。八百万の神々が協力してくれるよう、顕幽神三界を和合する稽古をしていきたいものである。