【第390回】 宇宙一体化への道

合気道を始める動機は人それぞれに違うだろうが、多くの人、特に若者の多くは、強くなりたい、アニメの主人公のように敵をチョチョイがチョイとやっつけることができればいい、と思って、入門するのではないだろうか。

違うという人もいるだろうが、私の場合も実はそうであった。大学1年生で、当時はまだ世間で合気道が知られておらず、合気道とはどんなものかもほとんど知らずに入門した。動機は、稽古は苦しいかもしれないが、修行を積めば「気合い」で敵を倒すことができるだろう、と想像したことによる。

だから、入門したあとは、何とか強くなろうと思った。まずは、先輩に腰投げなどで投げられても受けがとれるように、また、二教や三教できめられても耐えられるように、体を鍛えようとした。

体を鍛えるには、受けをたくさん取ること、素直に取ること、どんな人の受けでも取ること、である。若かったこともあり、一日最低二時間、休み時間も先輩や仲間に投げてもらったり、ひとりでころがって、受け身の稽古をした。もちろん、道場には日曜稽古を含め毎日通った。

もう一つの体を鍛える方法は、自分が技をかける時、体と気持ちを力一杯相手にぶつけることである。

2年も稽古を続けると、合気の体がある程度できるし、技の形も覚えてくる。すると、変な自信がついてしまうもので、稽古で相手を倒すことに熱中してしまう。もちろん、知らない支部道場の人や先輩にぐちゃぐちゃにやられてしまうこともあり、強い人がいること、突進するだけでは危険であることを知らされることもあった。

強い人には用心してかからなければならない、そして、相手によっては力や速度等などを変えなければならない、と少しは利口になってくる。

日ごろから顔を合わせて稽古している相手ならよいが、初めての人の技量を見定めるのは、初心者には容易ではない。だが、見定めが狂うと大変なことになるので、何とか正しく見定める努力をした。まずは目の視覚で判断するわけだが、慣れてくると精度はあがる。しかし、狂いもあって、人は見かけによらないという通り、間違えることもよくあった。

視覚よりも確実なのは、相手に触れた時の触覚である。特に、相手の腕を取ったときの感触で、その技量はほぼわかるものだ。

相手の技量がわかれば、不覚をとることもないし、それだけ思い切り動き回ることができる。だが、ここまでの稽古は、いわゆる力の稽古、魄の稽古である。もちろん、力の稽古は誰でも経験しなければならないし、それも5年、10年、20年と続くはずである。私の場合も、30年以上続いた。

相手を倒す稽古のままでは駄目だ、と気付かせて下さったのは、本部道場の故有川定輝師範であった。師は、稽古中に相手を気持ちよく投げている私に、そんな馬力の稽古をしていては駄目だ、と一言つぶやいて行ってしまわれたのである。その時は、先生も人を思い切り投げたり抑えたりしているではないか、と反抗心が起きた。その後、それがどういう意味なのかを考えたが、しばらくは分らなかった。

しかし、先生の言葉の意味は分らなかったものの、それからの稽古のやり方は変わってきたようだ。無茶な稽古をしなくなり、相手を気遣う稽古をするようになってきた。

その内にだんだんと、稽古で相手と戦うという愚かさを悟るようになった。体力も昔ほど無くなってきたこともあるだろうが、考えるようになったのである。

また、この頃になると、昔は解らなかった開祖の言葉が思い出されるようになってきた。「力を入れるな」「合気道は万世一系の理である」「合気道は人間を相手にしているのではない」等などである。

そして、段々と合気道の稽古には目標があるし、稽古している技には法則性があることに気付くようになったのである。そのため、『合気真髄』『武産合気』を繰り返し読むことになった。

それまでは、稽古の対象は相手であったが、ここからは自分との戦いになった。いかに自分に負けないようにするか、自分を精進させることができるか、である。

自分の精進、上達のために稽古するようになると、稽古の相手はその上達のためのお手伝いをしてくれる協力者であり、自分の一部であり、技をかけた結果を映し出す鏡であり、技の良し悪しを判断してくれる判定者となってくる。

これまで倒す相手と考えていた相手は、自分の一部となり、協力者にもなるわけであるから、感謝するようになる。

相手に感謝できるようになると、道場だけでなく、自分の周りのものすべてに感謝するようになった。何事にも感謝するようになると、みんな一生懸命に生きていることが見えてくる。人も動物、鳥や虫、植物も、懸命に生きていることが見えてくる。

ここに、開祖が言われているだろうところの「愛」が生まれてくる。万有万物が一家族になるのだから、家族「愛」になるのである。自然からも学べることがわかり、自然にも感謝することになる。

合気道は宇宙の法則を形にした技を練磨しているので、宇宙に多くのことを学んでいることになる。技だけではなく、宇宙の意志、宇宙はどこからきてどこへ行くのか、人はどこから来てどこへ行くのか、等などある。宇宙にも感謝しなければならなくなってくる。

合気道で宇宙の法則の技を練磨することによって、宇宙の法則を身につけていくことになった。無限にあるだろう法則を、少しでも多く身につけるのである。もし、すべての法則が身につけば、「宇宙」になるわけである。これが、宇宙との一体化である。

まあ、我々凡人には「宇宙との一体化」への道は遠いが、それに限りなく近づくことは誰にでもできる。宇宙一体化への道をがんばろう。