【第385回】 念をもって修行する

開祖は「念をもって、正しい武道の修行をすることが必要になってくる」(『合気真髄』)といわれている。また、「念で業(わざ)が無限に発兆する」(同上)ともいわれている。

「念」は、合気道を修行する上で大事なもののようである。念をもたなければ、正しい合気道の修行はできないし、無限に出るはずの技も出ないことになる、というのである。

それでは、もつべく「念」とは何か、ということになる。「念」を辞書で引いてみると、思い、気持ち、考え、気をつけること、かねての望み、物事を考えたり思いを描く心の働き(仏教語)、などあるが、開祖がいわれるものに近いと思われるのは、「心の中の一定の対象に精神を集中させること」のようだ。

だが、開祖がいわれるところの「念」はこれとはまた少し違うようなので、もう少し探求する必要がある。

開祖は、『合気真髄』の「正しい念は宇宙と気を結ぶ」(P.104)で、念について次のように説明されている:

上記の開祖の言葉から、「念」とは何かを絞ってみると、念とは、“宇宙に結ぶもの、研磨できるもの”で、念を磨くことによって宇宙と一体化(同化)できるようになる、ということである。

上記の辞書での念の意味は、「心の中の一定の対象に精神を集中させること」ということであったから、開祖の言葉と合わせてみるとこうなるだろう。

合気道修行での「心の中の一定の対象」が、宇宙との一体化であるとすれば、この「宇宙との一体化に精神を集中すること」が「念」ということになるのではないだろうか。

「宇宙との一体化に精神を集中すること」を「念」とし、損得や勝敗などを考えずに、ただ宇宙との一体化に近づくべく、技と心と体を磨いていけば、宇宙との同化(一体化)の可能性があるということである。

間違った念は駄目だが、念を持たない修行も駄目である。念をもって正しい修行をしなければならないということである。