【第383回】 合気道と武産合気(たけむすあいき)

合気道を修行・研究してくると、武産合気とか武産合気道という言葉を目にしたり、耳にするようになるだろう。合気道の聖典であると考える『武産合気』『合気真髄』を読むと、合気道と武産合気がからみ合いながら出てくるが、この区別はなかなか難しい。

今回は、合気道と武産合気の違いと関係を、上記の『武産合気』の文章から研究してみたいと思う。

武産合気を理解するためには、武産の「武」が分らなければならない。「武」とは、『第382回「武」』で書いたように、汚れたものを祓い淨めるものである。従って、武産とは、武を産み出すことで、汚れたものを祓い淨めるものを産み出す、ということになるだろう。つまり、障害、汚濁を取り除き、すべての生成化育を守ることであるから、この合気・合気道は、武産合気・武産合気道ということであると理解する。

合気とは、合気道の目標である宇宙との一体化、一元の創造主との同化である。我々はこれを目標、つまり最終ゴールとして、合気道の稽古に励んでいるはずである。この目標に到達できるかどうかは分らないが、それに一歩でも近づこうとしている。

しかし、これはいうなれば、自分のための修行ということになる。たとえ宇宙との一体化ができたとしても、本人だけのことで、他の人やもの、宇宙の生成化育には関係なく、お役に立てないかも知れない。仏教で云えば、小乗仏教ということになるだろう。

そこで開祖は、合気道の上に武産合気がなければならないと考えられたのだろう。開祖は「天地の本日までの仕組みにおいて、たくさんの穢れができている。これは当然の成り行きであるが、この穢れを合気道の真髄によって天地の条理を明示して、この世の動きと和合して、この世の穢れを排除していくことが武産合気の本義である。我々は進んで世界の和合を、微力であっても合気道によって尽くそうではないか。」といわれている。

つまり、まずは合気道を修行し、一元の創造主と一体化した上で、合気道の淨めの技で、この世の穢れを排除していかなければならない、それが武産合気である、ということである。これを、開祖は「武産合気として一元の創造主に同化して、この大きな家族の流れとして、自分は合気道の上に、淨めの技をもってご奉公することを武産合気と申し上げるのであります。」といわれる。

この武産合気によって、合気道は、宇宙のすべての生成化育を守る愛の武道になり、「宇内を悉くみそぎ、森羅万象の罪障、邪気邪念を祓い清め処理するところの大道」となるわけである。小乗仏教から、大乗仏教になるのである。

合気道と武産合気の関係は、所謂、小乗仏教と大乗仏教の関係で、大乗仏教の武産合気は合気道に淨めの技を加えたものであり、合気道を真の武にし、合気道を愛のみ働きにする役割を担っている重要な役割をもつものである、と考える。